第1章 霧の先へ

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「なにあれ。ほんと、ダサい。嫌なら嫌って言えばいいのに!」  その刺々しい言葉は、周囲に知らしめるために発せられたようで、不細工な歩に気づいた周りの子たちがくすくす笑いだした。彼女と仲の良い女の子が慌てて腕を引っ張った。 「ちょっとやめなよ、杏奈。遠藤くんの家ってほらお母さんが行方不明で……そのことで隆也くんたちと揉めたから目をつけられてるんだよ……」 「だからなに? わたしだってお母さんがいないのは可愛そうだって思うのよ。ひどいと思うわ。でもそれと本人がみっともないのは関係ないじゃない。だってお母さんがいなくても、嫌とは言えるでしょ。わたし、はっきり自分の気持ちを言えない人、好きじゃないのよね。なにあれ、前にもかばん担いでさ。みっともない! 転んだ時のクッションのつもりなのかしら!」 「僕は――いや、やめとくよ」  言いたい放題の彼女、柊杏奈は快活で、あの隆也にだって物おじしない、女子グループの中心の女子だ。男子の多くから「あの眼は怖い」と評判のアーモンド形でちょっと大きい目ににらまれたら、敵対心なんてたちまち消えてしまう。  歩が黙って列のほとんど最後尾につくと、杏奈が「ふん、意気地なし!」と鼻を鳴らして去っていった。それでも声をかけてくるだけ、杏奈はましだ。先生も含めてだれもが、隆也親子の報復を恐れ、歩を視界に入れないようにしているのだから。  目的地の昼休憩所は、二百メートルほどさらに登った山の中腹にあった。日当たりのよい斜面をぞろぞろ登っていくクラスメイトたちは金魚のフンのようで、先頭の列についてすこしでもよい足場を探るようにあっちにふらふら、こっちにふらふら動いてる。監督の先生たちはもう少しだ頑張れと励ましている。  ほかのクラスメイトより余分に荷物を持っている歩は、五分と歩かないうちにへばってしまった。滝のように汗を流す歩に、追い抜いていく女の子たちがおかしな見世物を見たみたいに笑っていた。男子はすでにずっと先だ。手を差し伸べてくれる子はやっぱりいない。 「ねえ、杏奈。高橋さんとはどうなの。この前、一緒に買い物行ったんでしょう? ほら、この前のかわいいネックレスは高橋さんと買ったって言ったじゃない。その後はどんな感じ? うまくいってるの?」  杏奈たちは歩を無視して元気にガールズトークをしていた。 「高橋さんとは……まあ普通よ、普通。うまくいってるんじゃない?」  杏奈は山の頂上をにらみつけたままぶっきらぼうに答えていた。恥ずかしいのか、あまり話題にしてほしくなさそうだ。女の子は「普通ってなによー」とけたけた笑っている。そういえば、杏奈には大学生の彼氏がいると噂で聞いたことがある。きっとその”高橋さん”が噂の相手なんだろう。それにしても、色恋話で盛り上がれるなんてずいぶん余裕だ。歩はずり落ちてきたリュックサックを担ぎなおして八つ当たり気味にうなった。雲に邪魔されることのない、元気なままの太陽には、少しはかげろよ! とにらみつけた。すると、願いが届いたのか、首筋をひんやり涼しい風が通り抜けた。  助かった。救いの風があるとするならまさにこれがそうだ。歩は気を抜くように息を吐いた。  ところが、歩の願いはちょっとばかり効きすぎていた。
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