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「ねえ、ちょっと寒くない……?」
風は涼しいのを通り越して、すぐに肌寒く感じるようになった。女の子たちが不安そうに腕をさすっている。白い息を吐いている子までいる。
空気はますます冷えていった。もはやいまが秋だと言われてもだれも疑わない寒さだ。わけのわからない事態にみんな足を止めて不安そうに話し合っている。
おかしなことはさらに続いた。
「え、霧?」
いつの間にか、背後から霧が近づいていた。練乳のように真っ白く粘っこい霧だ。先がまったく見通せない。霧の動きは素早く、なんの抵抗もできないまま、二分と経たずに包まれた。
白い世界で、みんなすっかりパニックになった。先生が「落ち着け! 危ないから動き回るな!」と必死に声をかけるが、誰も聞く耳を持ってない。好き勝手に騒いでいる。
「もう、なんなのよ……」
耳元で聞こえた不安そうな声に歩は驚いた。見えないが、杏奈が手を伸ばせば触れられるくらいの距離にいるようだ。
また絡まれたらたまったもんじゃない。そっと離れようとしたとき、霧の奥からギャーという叫び声がした。杏奈がひゃっと悲鳴をあげた。
「今度はなによ!」
目の前の霧がすこし薄れた。そこに飛び込む影があった。修二先生だ。
「いたい! いたいい!」
修二先生は口から泡を飛ばしながら、まるで触覚をなくしたアリみたいに背中に手を回してもがいていた。その見開いた目が恐ろしくて歩は一歩も近づけなかった。杏奈の息を呑む声が聞こえた。
修二先生の背中に、なにかいる。
歩は気づいた。暴れる修二先生の頭の後ろにボールのような黒い影が――。
修二先生は暴れるだけ暴れると、糸が切れたみたいに前向きに倒れた。それで背中の物体の正体がわかった。
それはサッカーボール大の虫だった。
半透明のまん丸な腹部に、ヘッドライトのように橙に光る大きなふたつの目がついている。八つある足は真っ黒だ。口からはストローのような管が出ていて、修二先生の背中とつながっている。そんな見たことない虫が、けいれんする修二先生の背中に張り付いていた。
虫の腹部に赤いものが漂い始めた。歩にはそれが何なのか、なんとなくわかってしまった。あれは、血じゃないか。この虫は、修二先生の血を吸っているんだ――。
みんなもその正体に気づいたらしい。
「うわああああ!」
いままで以上の悲鳴、そして逃げ惑う足音が周囲に響いた。もはや先生の指示に従ってじっとしているなんて、だれにもできなかった。
虫の複眼と目があった気がした。歩は一歩引いた。
「あ……!」
背後で悲鳴が聞こえた。肘をぐいっと引っ張られる。え、と声を上げる間もなく背中から倒れこんだ。身体がふわっと浮き上がった。
踏み外した! そう気づいた時には、歩は斜面を真っ逆さまに転がり落ちていた。
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