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斜面をくるくる旋回しながら転げ落ちる歩は、まるでコントロールを失ったピンボールのようだった。
視界が地面の黒と霧の白に次々入れ替わり、いまが上を向いているのか下を向いているのかわからなくなった。
「わーーーー」という叫び声がどんどん後方に置いていかれる。
踏ん張ろうとしても引っかかるものがない。勢いはますばかりだ。
そんなジェットコースターのような体験は唐突に終わりを迎えた。
なんの心構えもないまま、ふかふかの柔らかい地面に顔から突っ込んだ。
視界が真っ黒に塗りつぶされ、体が鉛のように重くなった。
「――遠藤くん? 遠藤くんだよね。ちょっと、起きてよ。ねえ、遠藤くん!」
呼びかけてくる声があるけれど、意識が朦朧として、ひどく遠くに聞こえた。
頭が重い。胸がむかむかする。
揺すられ、歩がやっと顔を起こしたのは、「遠藤くん、起きてよ」が二つほど繰り返された後だった。
口に入った土がミミズ臭くて、ぺっと吐き出した。
「ああ、よかった! 遠藤くんぴくりとも動かないんだもの。ぺしゃんこになったのかと思ったわ!」
そう言って、安堵の息をこぼしているのは杏奈だった。
足が汚れるのも気にせずに、歩の頭の脇にひざまづいていた。
顔はまつげの一本一本が確認できるほど近くにあった。
「柊さんも、落ちたの……?」
杏奈の山登りにしてはお洒落なシャツや、肩口で綺麗に整えられた黒髪がすっかり泥だらけになっている。真っ青な顔の杏奈が頷いた。
「うん、そうなの。さっきの騒ぎで驚いちゃって。足を滑らせて真っ逆さま。それで……そのとき、たぶん、わたしあなたの腕を掴んじゃったの。だから遠藤くんが落ちたのはわたしのせいだと思う。……ごめんなさい」
あれだけ好き勝手言っていた杏奈が見るからに落ち込んだ様子で謝るのだ。そんな殊勝な態度をされるとは思わなくて歩はすっかり戸惑ってしまい、「ああ、うん、まあ次は気をつけて」と変な答えを返した。
立ち上がろうとする歩に杏奈が心配して手を貸してくれようとしたが、丁重に断りを入れて――そんなところをクラスの男子に目撃されたら冷やかされる――、自分の足でしっかり立ち上がった。
辺りは残念ながらまだ霧の世界のままだった。
森の中みたいだけど……。でもわかるのはそれだけ。
手で振り払ってみても乳白色のカーテンが邪魔をして、黒い木々の先はなにも見通せなかった。
落ちたんだ――。
気分が落ち着いてくると、実感が湧いてきてぞっとした。心臓がばくばくとうるさいくらいに鳴っている。
ぐるりと見回してみてもほかに人影はない。落ちたのは二人だけみたい。
崖はずいぶん高かったはずだ。
怪我は……なさそうだ。腕を回してみても痛みがない。運がよかったんだろう……。
「柊さんは、怪我とかしてない? 大丈夫?」
「……たぶん大丈夫だと思う。足をちょっと切ったみたいだけど、たいしたことないわ。遠藤くんは……なあに、まだ隆也たちの鞄持っていたの?」
そういえば――隆也たちの鞄はいまだ歩の体にぴったり張り付いている。
ひょっとしたらこいつらがクッション代わりになったのかもしれない。
杏奈は堪えようとして、でも堪え切れない様子で「君の恰好やっぱり変よ」とちいさく笑った。
「そんな鞄置いていけばいいじゃない。隆也たちに、持っていくって約束したわけじゃないんでしょ? 一方的におしつけられたんだから、無視しちゃえばいいのよ」
「でも……こんなところに置いていったらあいつら困るじゃないか」
「遠藤くんって、ほんとお人好しなのね。そんなのあの子たちが悪いんだから、誤魔化せばいいのよ。落ちたときにどこかいっちゃいましたとか言ってさ。それくらいならわたしだって話し合わせてあげるから」
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