第2章 セセリ・パード・サーカス団

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 平均的な中学生にすぎないアユムやアンナにとって、弓矢での的当ては辛い運動になった。まず弓を引くのがひと苦労だった。 「そうじゃないよ! 弓と弦を一緒に、引っ張るの! そうじゃないってば! 腕をぷるぷるさせないで!」  チットは指導係に任命されたのがよほど嬉しかったのか、見るからに張り切っていた。アユムとアンナがうんざりするくらい体を触って姿勢を正そうとした。お陰でサーカスの開幕の準備があるからと解放されるまで、コップ一杯の水を飲む休みさえもらえなかった。 「腕が痛い……」  宿への帰り道でアンナが恨めしそうに呟いた。すれ違う住民がこれから再び催されるサーカスを想像して明るい顔で歩くのとは対照的に、アンナの顔にはしばらくテントに近づきたくありませんと明確に書いてあった。 「でも、霧の王国に行くチャンスはもらえたじゃない」アユムが重く感じる腕をもみながら言った。 「ええ、そうね。行けるかもしれないわね。でも、仕事だってあるのに明日は立派な筋肉痛よ」  宿に戻ると、今日もまた玄関ホールは静かだった。客が誰もいない。そして昨日と少し違うのはエルジの姿までないことだ。 「あれ? 出かけてるのかな?」 「まさか! だって料理が出しっぱなしよ」  たしかにエルジの姿をよく見かけるカウンターには、火こそついてないけれどスープが満載の鍋や野菜や果物がずらりと並んでいる。料理中に離れたと考えるのが自然だ。  しかし、あのしっかり者のエルジが料理を片付けずに出かけたりするだろうか?  釈然としない状況に首を傾げながら、階段を上っていると、二階の部屋のどこかからかすかに声が漏れ聞こえてきた。 「……仕方……じゃない……集会できま……となんでしょう……?」  アユムとアンナは目を丸くして顔を見合わせた。――エルジの声だ!  階段の陰に隠れてアユムが声をひそめて言った。 「……いま集会って言ったよね」 「……わたしにもそう聞こえた。ねえ、どこの部屋にいると思う?」  隠されてきた集会の内容にアンナは興味があるようで、盗み聞きするための部屋を目で探している。  アユムには、エルジが入っている部屋の検討がついていた。アンナが借りている部屋の斜め向かいの部屋だ。そこは初日にアンナが入って浮浪者に襲われた部屋なのだが、アユムがドアを強く引っ張ったせいで建付けが悪くなっていて隙間があるのだ。きっとそこから声が漏れてしまっている。  アンナの部屋であれば盗み聞きするのに都合がよい。アユムとアンナはすばやくアンナの部屋に隠れて、ドアに耳をつけた。 「……誰かいたか?」  ドア越しにくぐもった声が聞こえてきた。これは……ランダの声だ。どうやらエルジの話し相手はランダらしい。 「……いえ、誰もいませんね」  ドアを開ける音とともにエルジの声が聞こえた。きっと廊下に誰かいないか確認したんだ。  ドアは閉められたようだが、それでもふたりの声はなんとか聞こえてきた。 「……集会で決まったことなんですよね? でしたら守りませんと。それがこの街の決まりでしょう?」 「……しかしな、お前! ティタはどうする? あいつは……まだ小さいんだぞ! あいつに……どう言えばいいんだ……。いいさ、俺がもう一度集会にかけあってやる……」   「……ダメですよ。あなたはこの『名前を捨てた町』の顔役でしょう? 顔役が率先して決まりを破ってどうするんですか。……しっかりしてください。ティタにはかわいそうなことをしますが……。でもお役目が優先です。そうでしょう? これまでだってずっとそうしてきたんですから……」 「……しかし、だな……」 「……ティタにはあなたの方から話してください。きっとわかってくれます……」  その後、いくら待ってもふたりの声は聞こえなくなった。  続きがなさそうだと判断すると、アンナがベッドに座って難しい顔で腕を組んだ。 「いまのどういう意味かしら……」 「わからないなあ……」  アユムは床に座って――部屋にはベッドのほかに座れそうな物が、ベッドの脇のちいさな机くらいしかない――、首を傾げた。 「集会でお役目というのが決まって、それがティタに関係するみたいだけど……。でも、ティタがかわいそう? きっとわかってくれる? うーん……肝心なことを話してないから何もかもさっぱりだ……」  アンナが不安そうにアユムを見た。 「ティタが悪い目にあうとかないかしら? ほら、かわいそうだとか言っていたし」  その意見にはアユムは賛同できなかった。 「それをエルジさんが許すかなあ。街の決まりが大事みたいだけど、それでもティタのことなら反対しそうなもんだけど」 「そうよね……わたしたちが帰ってくる前に、もう少しなにか話していたのかもしれないけど……。ああ、もう! こんなことならチットのしごきに付き合うんじゃなかったわ!」  気分を変えるようにはあと息を吐き出してから、アンナがさっぱりした顔で立ち上がった。それから、おもむろにドアの出口を指さして「それじゃあ出て行って」と笑いながら険のある声で言った。 「隠れるのに都合よかったから黙っていたけど、ここ一応わたしの部屋よ。夜に女の子の部屋を訪れるのってマナー違反よね。そうよね? ほら、わかったら早く出て行って!」
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