I. 一枚の絵

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I. 一枚の絵

 ここからそれほど遠くない、とある町を通りかかったときのことなんですが、町の広場に人集りができていました。  近くにいってよく見ると掲示板があり、その上に大きな一枚の絵が貼られていていました。どうやらそれが話題になっていたのです。私はそばにいた初老の男性に何があったのか尋ねました。男性は顎で掲示板の方を指し示しめして言いました。  「うん?いやあ、なに、あの絵だよ。今朝から突然ここに貼られているんだが、町の職員も町内のいろんな関係者も誰も知らねぇって言ってるらしいんだ。まぁただの悪戯なんだろうけど、高さだけでも2mくらいあるだろ?こっそり運び込んで人目に触れないように貼ろうったって、決して簡単とはいえない代物だ。それが突然そこに現れた。それで、みんな珍しいからって見に集まってるってわけさ。なにせこのちっぽけな町で普段は何も変わったことなんてないからなぁ。ところでお前さん、見ない顔だな」  旅をしていて今日この町に到着したばかりだと答えると、初老の男性は訝しげに頷いて前に向き直りました。私もあらためて絵の方に目をやりました。  どんな絵かというと、それを説明するのがなんとも難しいのですが、誰が見ても一目でわかる肖像画や風景画のようなものではなく、簡単に言えば抽象画ということなんでしょうか。前衛的というか。様々な色の線や形が不規則に、あるいは縦横無尽に画かれているものでした。そういう意味では、肖像画や風景画ではないとは言いましたが、一見そうではないというだけであって、実はあまりに具象化されて画かれているために凡人にはそう見えない、ということも無いはいえません。私も絵に詳しいわけではないので何ともいえませんが、ただ、いずれにしても、ついつい引き込まれて見てしまう、そんな魅力のある絵でもあったのは確かです。しばらく私は無心に絵に見入ってしまいました。  ですが急に拡声器のハウリングの音がして、ふと我に返りました。一人の女性が掲示板の脇に台を置き、その上に登ると、詰めかけた人々に話しかけたのです。
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