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大人になったピーターパンは。
ノックもなければ、誰かが来た気配もなかったから、ピーターパンはとても驚いた。
何よりびっくりしたのは、自分以外がティンカーベルの部屋に入ってきた事だ。彼女はピーターパンしか部屋に呼ばないし、いたずらで誰かが入り込んでしまわないように、ピーターパン以外が入れない魔法をかけているのに。
もしかしたらお客さんが来るから、その魔法を解いていたのだろうか。
でも、ティンカーベルの家に遊びに来たにしては、ちょっと不似合いな感じがした。
だって顔が怖い。ピーターパンの長年の敵である船長が見せる、歪んだ表情に似ている。そんな顔を見せる子供なんて、ピーターパンの知っている中には誰もいない。
「ねぇ、ティンク。この子は誰?」
目線を戻してティンカーベルに訊ねても、彼女は意地悪姉さんの笑顔のままピーターパンを見つめるだけだった。
なんでかは分からないけれど、ティンカーベルは今日、ピーターパンと話してくれないらしい。彼女に聞くのを諦めて、ピーターパンは突然のお客さんの方に向き直る。
同じ国に住んでいる仲間。
リーダー格としてみんなの名前は覚えているはずなのに、会ったことだってあるはずなのに、どうしても、目の前の子供の名前は思い出せなかった。
だから、「キミは誰?」そう聞こうと思って、ピーターパンは口を開いた。けれど、開いた口から言葉は出てこなかった。
代わりに、ゴフッ、なんて空気が漏れたような音が出てきた。
……なにが、なにが起こったの? 分からない。
ただ、なんだか胸のあたりがすごく熱い気がする。ピーターパンはそう思って、おもわず手を添えた。なんだか凄くベタベタしている。
「なん、なの……?」
口から出てきた声は、発声練習の時と変わらず、酷く掠れた低い声だった。これがボクの声だっていうの?
ただただ困惑だけをいっぱいに抱いて、ピーターパンの意識はそこで途切れた。
少年は青年の胸を突き刺した「ピーターパン愛用の短剣」を引き抜いた。
短剣で塞がれていた血が吹き出し、ティンカーベルの部屋や彼女自身、少年の体も汚したけれど、少年は気にした様子もなくニコニコと笑顔を絶やさない。
対してティンカーベルの方は渋い顔で部屋を見つめ、自分の体も見つめると、血を拭おうとゴシゴシ擦ったり、魔法の粉を振りまいたりと忙しそうにしていた。
魔法の粉が落ちた先から部屋はどんどん綺麗になっていって、さっきまで血があちこちに飛んでいたなんて嘘みたいだ。
少年はその様子を感心したように見つめてから、目線を自分の足元に下ろす。そこではさっきまでティンカーベルと会話をしていた青年が転がっている。
話していたというよりは、一方的にこの男が独り言を漏らしていただけのように、扉の外で聞き耳を立てていた少年には思えたけれど。
センパイ、そう口にしてから、その呼び方がおかしい事に少年は気が付いた。
「それとも先代、って呼んだ方が正しいのかな?」
少年の呟きで、さっきまで顔を顰めていたティンカーベルは、途端に笑顔になる。
明るくて人懐っこい笑顔は、ティンカーベルがピーターパンにだけ見せるものだ。
少年の元に急いで飛んでくると、彼の近くでぱちぱちと小さな手を鳴らして、拍手を贈ってみせた。
「大人になった“用無し”を葬った。おめでとう! これであなたが新しいリーダー。あなたが新しいピーターパンよ。これからよろしくね」
あなたが大人になる、その日まで。
ティンカーベルが付け加えた呟きが、少年に聞こえていたかは分からない。
ただ少年はティンカーベルの言葉に微笑んでみせた。さっきまで浮かべていた歪んだ笑みではなく、その幼い顔立ちにとても似合っている、無邪気な笑顔だ。
「よろしくね、ティンク」
ピーターパンにしか触れる事を許さないティンカーベルは、その言葉と一緒に差し出された手に、甘えるように擦り寄った。
───オレが大人になる、その日まで。
大人がいない「夢の国」ネバーランド。
そこに大人は居ない。いらない。
みんなのリーダー、ピーターパンが、もしも大人になってしまうようなことがあったら?
そんなのは簡単さ! 世代交代が起きるだけ!! だって新しいピーターパンなんて、子供だらけのネバーランドには、いくらだっているんだ!
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