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【イブの約束】
12月16日、ホテルの電話が鳴る。
「はい……ホテル・キノスラです……」
もっと元気に言わなくてはと思うのに、そんな力は湧いてこない。
『長谷部です』
掠れた声に別人かと思った。だが何度もその声を脳内で再生して確認した。
「長谷部さん!? 大丈夫なんですか!?」
『え、中川さんか。ああ、事故の話は聞いてる? うん、なんとか生きてるよ』
笑いさえ含んだ声に、私は全身から力が抜けて、掛けていた椅子に全体重を乗せた。
「よかった……もう……逢えないかと……」
嗚咽が混じりそうになって慌てて口を押える、長谷部さんは尚も笑う。
『心配かけたんだね、ごめんね。いやあ徹夜明けで夜道を走るもんじゃないな、まさか転げ落ちるなんて』
「うん……」
文句のひとつも言ってやろうと思うのに、声にならない。
『まだ体は起こせないけど元気だよ。一番大きな怪我は骨折でね、右腕もってかれちゃった。暫く仕事は休み確定だな。でも一週間くらいしたら退院していいって言わてるから、すぐに君に逢いに行くよ』
「一週間……」
カウンターに置かれたカレンダーを確認した、23日だ。
「そんな、無理して退院しなくても」
『大丈夫、本当に大したことないから。君に見てもらいたい写真があるんだ、凄い火球が撮れてね』
「──うん」
私が見たあの火球をあなたも見ていたのね。それだけでも嬉しいのに、子供みたいにそれを私に見せたいだなんて……。
『早く君に見せたいと思った。とにかく出力しようと思って急いで山道下りたら……自分を呪ったね』
「本当です、冷静そうなのに……」
思わず呟くと、彼が吹き出すように笑う。
『そんなことないよ、意外とおっちょこちょいでさ。これはちゃんと俺を管理してくれる人がいないとって思ってて──』
言った瞬間だった、
『克明!』
受話口を通して、遠くから女性の声がした。
『病み上がりで、なに電話ばしとっと! しっかり休みんしゃい!』
声は近づいてくる、病室に入って来たのだろう。女性だけど、少し年配だと感じた。
『お母さん』
そんな声がこもって聞こえた、送話口を押えているらしい。それでも会話は聞こえる。
『大事な人と話してるんだ、外で待っとって』
『意識が戻ったって病院から連絡が来たから慌てて来てやれば、外で待ってろぉ!? 心配したこっちの身にもなりんせ!』
親よりも先に私に連絡をくれたと判る、もしかして、一番最初に連絡を……?
『あー、ごめんごめん』
投げやりな言葉の後、声が間近に聞こえた。
『また電話するから』
早口に言う。
『とにかく、24日は空けておいて』
「はい」
余韻もなく切られた電話、その慌てぶりに笑顔になれた、お母さんに頭が上がらないのかな? なんか可愛いな。
24日がクリスマスイブって、長谷部さん、判ってるのかな? その日を予約するなんて、まるで恋人みたいじゃない。私、嬉しくなっちゃうよ。
写真なんかどうでもいいって思えるくらい、ただあなたに逢いたい。
逢ったらちゃんと伝えるね、あの日言えなかったことを。
今度は私も連れて行って、って。
*
果たしてクリスマスイブの夜。
彼と待ち合わせたのは桜木町駅の改札前。
あなたは頭の包帯をニット帽に隠して、右腕は包帯で吊った痛々しい姿で現れた。
そんな姿と逢えた喜びに、私は人目も憚らず涙していた。あなたの戸惑いが判ったけど涙は止まらない。
「泣かないで。御覧の通り、元気は元気だから」
「うん、うん……」
返事は嗚咽と混じった、彼がポケットから小さなタオルを出して渡してくれる、私は慌ててそれを辞退して自分の物を出して涙と鼻水を拭った。
「ねえねえ。鞄から出して欲しいんだけど」
彼は言うとしゃがみ込んだ。リュックは肩から腕を吊る包帯の下にあって降ろすのは面倒そうだ。しゃがんだ彼のリュックのファスナーを開けて、中を覗く。
「何を出しますか?」
「封筒ふたつは、あとで中川さん持って帰って。この間の流星群の写真と、俺の写真集だから」
わ、ちゃんと約束覚えててくれたんだ。
「緑の包み紙に赤いリボンのやつ、判る?」
財布などと混じって、それはリュックの底の方にあった。5センチ角程の立方体だった。
「これ?」
「そう、君へのクリスマスプレゼント」
「え、私、そんなの用意してこなかった!」
「いいよ、そんなの。俺には君に逢えた事そのものがプレゼントだから」
「そんな……」
彼は立ち上がり、着いていた膝の砂を払う。
「開けてみて」
催促に素直に包みを開けた、中には腕時計があった。どう見ても安物ではない。
「……明日でよければ、私からもプレゼントを……」
ううん、仕事がある、そんな時間ないかも。
「あ、これからお店覗いて、一緒に何か……」
「いいって、そんなの」
彼は微笑み、こほん、と咳払いをした。
「腕時計をプレゼントする意味って、知ってる?」
知らないので、首を左右に振った。
「同じ時間を歩みたいって、独占欲の表れ」
──へ?
「ちょっと手錠みたいでしょ。だからそんな意味合いになるのかな」
「そ、そうなんですね」
箱の中で静かに時を刻むピンクゴールドの腕時計にそんな意味があるなんて。
長谷部さんは小さく深呼吸をして、真剣な声で宣言した。
「中川さん、これからずっと俺といてください。イエスならそれを受け取って。ノーなら返してくれて構わない」
そんな覚悟、要らないよ、答えなんて決まってる。私は小さなクッションに嵌められた腕時計を箱から取り出す。
それを腕に嵌めながら涙が溢れた、だってあなたに先を越されてしまったから──私が言いたかった事を、あなたに言われてしまったの。
同じ気持ちでよかった──私はあなたに永遠に束縛される。
終
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