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 翌日も昨日のことが頭から離れなかった。誘ってくれた彼のことを自分から遠ざけてしまった、そんな気がしてならなかった。あの瞬間から彼は私と距離を置くようになってしまった。もう誘ってくれないかもしれない。  昨日のことで私は自分の気持ちを再確認したのに、あんなにも簡単に彼は離れてしまった。  十年前の恋は、私の独り善がりな妄想だったのかもしれない。  もう、忘れたほうがいいのかもしれない。  私はもう十五歳の少女ではない。  彼はあれから三歳しか年を取っていないのに  私は十歳も年を取ってしまった。  諦めた方がいいのかもしれない。  私はぐっと涙を堪えた。そして制服に着替え、おいてけぼりの自分をテリトリーの中に閉じ込めた。  私にとって仕事に打ち込む時間だけが、寂しさも哀しみも全部忘れさせてくれる時間だった。制服に着替えて、ヘッドセットを頭にかけ、モニターを見ながらパイロットに指示を出すことは、もう一人の強い私になれる時間だ。  私はそうしないと  本当の私は……  臆病でとても寂しがり屋だから  壊れてしまう。  午前八時……ジャストにタイムカードを押した。気持ちを切り換える。  私は宇宙航空管制官(ナビゲーター)霧島汐名(きりしま しおな)だ。  服装の乱れはなし。  髪の乱れはなし。  表情に陰りはなし。  これで完璧だ。  私は頑丈なテリトリーを張り、隙のない女の自分を始動させた。  我ながら鮮やかな切り換え術だと思った。これだけしたたかなら、きっと独りでも生きて行ける。きっと独りでも大丈夫だ。  きっと……  午後六時三十五分……ジャストにタイムカードを押した。勤務終了。今日は何故か鼻歌を口ずさんでいた。自分の出勤カードを棚にしまい、休憩室に向かう。なんだかコーヒーを飲んで寛ぎたくなった。そのために先にタイムカードを押してきた。正規の勤務時間を回ってから、制服で休憩室に入ることは禁止なのだ。そうやって不正に残業代を稼ぐのを防ぐためだった。  ここに皆、自分専用のコップを置いていた。私は棚からマイカップを取り出してコーヒーを注いだ。とても良い薫りがした。私はそれをくんくんと嗅いで堪能する。何故だろう。愉快で仕方がなかった。ランナーズハイ? 私、壊れちゃったの?  寂しがり屋の汐名が、隙のない女の汐名を通り越して、楽天家の汐名にでもなっちゃったの? 「ふふ……」  カフェインがアルコールみたいに作用した。二杯目、三杯目、飲むほど解放感が生まれた。意味もなくマイカップに描かれたネコのイラストを眺めてみる。そのネコは無表情でこっちを向いていた。 なんだか寂しそうだった。背景には簡素な雲しかなくて、独りぼっちで……  自分を見ているみたいだった。 「うっ……」  私は嗚咽を漏らした。その途端、止まらなくなった。  涙が滝のように込み上げて来て  止め方がわからなくなった。  私が座っていた白いテーブルは大洪水だ。ハンカチでは間に合わない。顔なんてメイクが崩れて、パンダおばけだ。そんな所を見たら誰もお嫁にもらってくれなくなる。  私は少女に戻ったみたいに、泣きじゃくった。その時幸いにも誰も部屋には来なかった。私はしゃくりあげながらコンパクトミラーで自分の顔を見る。  と、ガチャッという音をたててドアが開いた。 「!?」  私は焦って、見られたくないのにそちらに顔を向けてしまった。 「汐名」 「(しん)……?」  この姿を一番見られたくない人に見られてしまった。彼は驚きとかではなく、戒めるような表情で私の顔を見詰めた。怒られるのかと思った。そして……  彼は私の傍に歩み寄り、抱き締めた。 「何で泣いてるの?」  優しくそう問い掛ける。私は声が出せなかった。声を出したら、途端にまた泣き出してしまうから。堪えて、言いたくないと頭を左右に振った。  その頭を彼は優しく撫でてくれた。 「泣かないで。オレで良ければ、相談でも気晴らしでも、付き合うからさ」  彼はそっと私の体を放し、顔を見た。 「さぁ、メイク直して。出かけるよ?」 「臣……」  また涙が込み上げてきた。 「どうした〜」  彼はまた泣き出した私の頭の後ろに手を回して、愛犬と戯れる飼い主みたいに自分の頭を擦り寄せて言った。 「今日は夜景を見に行こうか?」
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