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私の名前は霧島汐名。職業は火星コロニーの宇宙航空管制官。その給料の中から毎月、実家に仕送りをしている。残りは全部自分のため。化粧品代、アパートの家賃、生活費に消えていく。
趣味はとくにないのにキャッシュカードの残高はどんどん減っていく。
そして持て余すはずの休日は、何もしていなくても急速に流れていく。
置いてけぼりにされてるみたい。
ああ、せっかくの休日なのに何もできないうちに終わっちゃった。
いつもそんな感じだ。
職場では異性にも興味がないお堅い女だと言われている。合コンに誘われても行かないし、職場恋愛も経験したことがない。
自分自身にも興味がないのかもしれない。
だけど、隙は絶対見せたくない。
寂しそうに見られたくない。
だから、そういう表情なんて絶対に他人には見せないように
女を捨てたなんて思われないように
興味がない自分の身だしなみを神経質なぐらい完璧に整えている。
髪はカラーリングしていない自然な黒髪で、前下がりのストレートボブ。メイクは基本のきちんと系。制服もいっさい着崩さない。
その他人を寄せ付けない頑丈なテリトリーの中に本当の私がいる。
置いてけぼりにされた私が……
「ミッション終了。基地に戻って」
システム管理室のモニターをチェックしながら、私は担当パイロットにそう告げた。
仕事を終え、ヘッドセットを外す。その時間、そこにナビゲーターの数は数名しかいなくなっていた。
「お疲れ〜」
そんな声があちこちで交わされていた。私も誰となくそこにいる社員達に向けて挨拶をして、退席する。通路を抜けロッカールームに入ると、すでに着替え終えた女子社員がいた。顔全体が見えるほど大振りな四角いハンドミラーで、顔や身だしなみをチェックしている。ブランドもののバッグを肩に掛け、流行の服装で身を固め、胸元や指にはダイヤなどの宝石や金属を身に着けている。表情や仕草がやけに女らしくて、そこに男性の影をちらつかせていた。私はさっさと着替えを済ませると、適当に彼女と挨拶を交わしてそこから退室した。
「汐名っ!?」
システム管理室を抜ける個人認証センサーを通過すると、ちょうど反対方向から従兄弟で幼馴染の相楽臣が歩いてきた。青いパイロットスーツの開いたファスナーから真っ白なTシャツを除かせている。水色の髪が汗に濡れていて、飛行後だということが窺える。
「仕事終わったんだ? お疲れっ」
人懐こい笑顔で彼は言った。
「お疲れさま」
私は笑顔ととれないほど小さく微笑して彼と擦れ違う。彼はタイムカードを押しに、システム管理室の奥に消えた。私は無関心を装い、さっそうとした足取りで進む。私服に着替えても家に着くまでは隙を見せない。背筋はぴんと伸ばしたままだ。そして角に差し掛かかる。
「汐名!」
えっ……?
急なその呼び止めに、私の動きは停止した。背中を向けたままの私に、彼の接近を知らせる気配が伝わってくる。
「オレも今終わったとこなんだ」
「そう……」
何でもないように私は相槌した。
「これから予定ある? なかったら一緒に、どっか寄り道してかない?」
「……」
私はどういう意味? と彼を見て、表情だけで問い掛けた。
「クスッ……じゃあ待ってて、速攻シャワー浴びてくるから」
「?」
「そこの自販機の前で待ってて!」
彼は私の返事も聞かずに勝手に話を進め、シャワールームへと駆け出した。
「何それ」
怪しすぎる……
私はちらっと横目で、その指定されたジュースの自販機を見て困惑した。私服でこんな所に突っ立ていたら不自然で仕方ない。立ち飲みしている姿も見られたくなかったので、不自然だが傍にある窓から景色を眺めることにした。時々、腕時計を見て時間を確認する。腕組みする。携帯端末を操作するふり。コンパクトミラーを見ながら前髪をチェック……
何をやっても時間をかせげなかった。
「早くぅ〜……」
ついにモノローグを口にしてしまう。
それが嫌に甘えた声だったので、自己嫌悪した。私もあの女子社員と同じことをしてるみたいだと……
「ごめんごめん〜」
やっと彼が駆け付けた。私服に着替え、下はデニム、上はTシャツの上にさらっとスタジャンを羽織っていた。
「この時間、シャワールーム混んでてさぁ」
「そうだったんだ……」
何だか私はほっとして口許を緩ませた。
「どこ行こっか?」
私が「う~ん」と首を傾げると
「じゃあ……あそこにしよう」
そう言って彼が私の背中に触れた。私はびっくりして、思わず体を引いてしまった。
彼の動きが止まる。それから不思議そうに彼は私の顔を見た。
「……」
忘れていた。彼は昔からボディタッチが多かったのだ。親しくなると誰にでもそうしていた。それに深い意味はないのだ。
「ん〜ん、何でもない」
私は何も聞かれる前に否定した。
「……」
彼が無言で歩き出す。それからずっと沈黙で、彼はまったく触れてこなくなった。
長い通路を抜け、やっと火星コロニー防衛パイロット養成施設から出ると、屋外の景色が開けた。四角いビルが林立するビル街を数十メートル進むと、その奥にマジックミラーの円筒型ビルが見える。そこの最上階は、眺めのいい景色が展望できるスポットとして有名だった。彼はそのビルへと進んだ。そして彼と私はそのビルの入口にある回転ドアを抜け、中へと進む。するとエンジ色のベストとタイトスカートに、黒い帽子を被り白手袋を嵌めた女性店員が、上品な微笑と慇懃なお辞儀で向かえてくれた。訪れる客層も上品な男女ばかりだった。
「汐名、ここ来たことある?」
彼は落ち着かない素振りで聞いてきた。私は首を横に振る。
「んーん、始めて来たわ」
「そうなんだ……」
苦笑混じりで彼は声を吐き出した。
「最上階行ってみない?」
と彼は一瞬、私に伸ばそうとした手をそっと引っ込めた。
「……」
私は彼にそうさせてしまったことに罪悪感を覚えた。
それから二人で、入口を入ってすぐのエレベーターに乗った。室内は養成施設内にあるエレベーターのようなガラス張りでもなく、四面を高級感のあるワインレッドの壁に囲まれた奥行きのある広々とした空間だった。ところがそこに人が押し寄せるとあっという間に狭苦しい空気に包まれる。そして最上階に着くまでに室内は、上階へ向かう乗客達で缶詰状態になっていた。
到着してエレベーターから降りると、その奥にガラス張りの展望空間があった。そこに何台もの望遠鏡が設置されていて、彼が少しはしゃいでそれに駆け寄り、後から私も付いて行った。彼が電子マネーのカードをカードリーダーに通してそれを覗く。
「見て、凄いよ!」
彼が途中で顔を上げ、私と交替した。
「綺麗……」
素直にそう言葉が出た。地上から眺めていた景色と違い、全てがミニチュアみたいに見えた。子供の頃、プレゼントの箱を開けた時みたいに胸が高鳴った。
「代わって代わって」
「あ、ごめんなさい」
私はつい占領していたので退きながら横を見ると、至近距離に彼の顔があった。
「……!」
今度はそっちのことに胸が高鳴ってしまった。
時間とともに望遠鏡が見えなくなると、彼は手摺に囲まれたドームのガラス越しに景色を見下ろし始めた。私が傍へ行くと彼はぼんやりと呟いた。
「夜景の方が綺麗なんだろうけどね……」
彼は振り向いて少し名残惜しそうに笑った。
「帰ろっか?」
「え?」
「これからはカップルが来る時間だから」
「……」
時計に目をやると夜の八時をとうに過ぎていた。ガラス張りのドームの中は灯が煌々として眩しいぐらいなのに、その向こうには広大な闇が広がっている。その闇に何故気付かなかったのだろう。私はすっかり別のことに気を取られていたようだ。
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