しのぶもぢずり

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 懐かしい低音が室内に響き、余韻を残しながら消えていった。 「椛の……椛の音だわ」  祖母が目を見開いて驚きの吐息を漏らす。さすが、哲学的な持論を口にしていただけあって、一音で確信したようだ。  彼女の手もとに視線をやると、弦に触れてこそいないものの、正面にある琴は、彼女と同じ蛍のような淡い光を放っている。  その少し上で、白く美しい手がなめらかに動きだせば、優雅な演奏が始まった。  僕の、大好きな音。  もう二度と戻ってくるはずのなかった至福のひとときに、まぶたを閉じてしっとりと浸る。  しばらく経ったとき、ふいに、切なげな嗚咽が混じった。  目を開ける。  僕ではない。祖母――でもない。  泣いていたのは、兄だった。  俯き加減で目もとを押さえ、小さく肩を震わせている。そして、濡れた声で、しぼり出すように「俺……」と呟いた。 「俺さ……元々どうしようもないやつだけど、こんなに恨まなくてよかったと思うんだ」  続けられた言葉に、僕は違和感を覚えた。
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