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弥生は、この店に健司と来たことがない。彼は行きたがらなかった。彼とは訪れていないという事実が、弥生にこの店を選ばせた。
「いらっしゃいませ」
金曜日の夜なのに、リトリートは思ったよりも客が少なく感じられた。東京の混雑を見たからかもしれない。
「弥生さん……久しぶりですね……」
険悪な空気を察したらしい、バーテンダーの涼を弥生は軽く睨んだ。就職してから来るのは初めてだ。
何も訊くなという空気を感じた涼は、気づかなかったように、弥生にカウンターを勧めた。
「ご注文は?」
キャリーを椅子の横に置いた弥生は、自分の気分に相応しい色のカクテルを注文した。
「黒いカクテル。強いやつよ」
やけ酒と気づいたらしい涼はあいまいに頷いて、細いシャンパングラスに二種類の液体を注いだ。黒い色の液体の上に茶色の泡ができていて綺麗だ。その美しさも弥生を苛立たせた。
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