恋つぼみ

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 子供のように無垢な表情の彼。その視線の先には、いくつもの紅色のつぼみをつけた、小柄な梅の木がひとつ。 「これね、私が生まれたときに、お母さんが植えたんだって」  我が家は二年前に両親が離婚し、その翌年には祖母が他界。以来、この小さな一軒家に母と私のふたりきりで暮らしている。  まだ若いこの梅の木は、私と共に生きてきた木は、ちっぽけで素朴な庭にしっかりと根を張っていた。  そんな姿を見ていると、体の底から力が湧いてくる気がして、なんだか元気をもらえる。 「これって実もなるのか?」  目を輝かせて聞く彼は、やっぱり子供みたいだ。 「うーん、ならなくはないけど、花梅(はなうめ)だからあんまりおいしくないかも」  梅には、花の観賞を目的とした花梅と、実の収穫を目的とした実梅(みうめ)があると、母から教えてもらった覚えがある。 「よかった。気に入ってもらえたみたいで」  雪化粧した梅のつぼみ。すっかり夢中な彼。ふたりだけの空間。  ――今なら、言えるかもしれない。 「あら、お友だち?」  喉元まで出かかっていた言葉は、背後から聞こえた明るい声に驚いて引っ込んでしまった。  噂をすれば母である。 「お邪魔してます」  後ろを振り返り、会釈する彼。 「男の子じゃない。まさか彼氏?」  からかう母を「ちっ、違うから!」と睨みつける。  違う。そんなんじゃない。私が勝手に、想ってるだけ。  焦る私と楽しげな母を、彼はくすくす笑いながら眺めている。 「あ、いけない。夕飯の準備しないと」  思い出したように手を叩いた母は「ゆっくりしていってね」と台所へ消えていった。  また、ふたりで梅の木に向き直る。  雪はさっきにも増してしずかに地面を濡らし、徐々に雨へと変わりつつあった。  小さなため息が漏れる。完全にタイミグを逃してしまった。  隣の彼が、彼の笑顔が遠く感じる。  どれくらいそうしていただろう。
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