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ヴァンパイアをご存じだろうか。
人々の生き血と精気を吸い取る恐ろしい魔物。
漆黒のインバネスコートに身を包み、その美麗な容姿で女性たちをとりこにしては、やわらかな首筋に歯をたてる。
闇を愛して陽光を憎み、棺桶を寝台として眠り、忌むべきものは銀の十字架。
家族も持たず友もなく、永遠の時をひとりさまよう、恐ろしくも哀しい孤高の存在……。
ちなみに日本語には吸血鬼という言葉もあるが、ここはヴァンパイアという言い方でお願いしたい。
金髪碧眼、長身の美青年であるこの私には、片仮名表記のほうが、よりふさわしいからある。
もちろん私の出身はニッポンではなく、海を越えた栄えあるグレート・ブリテンだ。長く暮らし過ぎて飽きがきたため、似たような大きさの島国に移住してから、もうかなりの年数になるが。
しかし……と、私はこの季節になると毎回思うことを、いまも考えずにはいられなかった。
どうしてこの国の人々は、年末になるとこうもせわしなく動くのだろうか。十二月のことを漢字で師走と書くらしいが──こんな知識も私はすでに持っている──師も走るほど忙しいというのなら、どうしてもっと早く準備をはじめないのだろうか。
特に、ラッシュから解放されたサラリーマンたちが家路を急ぐ、いまのような時間帯は、歩きにくくていけない。やむなき所要で外出していた私だが、帰宅時間が重なってしまったのは失敗だった。
もっとも、はたから見れば私の姿は、さぞ楽々と歩いている人のように見えることだろう。というのも、どこにいてもたいていは、周囲の人々が私のためにさりげなく道をひらいてくれるからだ。
現代社会に生きるヴァンパイアの常として、私は目立たないことを最優先としながら暮らしている。
服装は、着ればすごく似合うとわかっているインバネスではなく、安っぽいブルーグレーのブルゾン。姿勢だって、なるべく幅をとらないように肩をすぼめて歩くという気の遣いようだ。
だがやはり、持って生まれた気品と威厳は自然とにじみ出てしまうらしい。これも、本国の高貴な血筋がなせる罪な技……。
などと、一人でうなずいていたときである。
突然、腰のあたりに何かが勢いよくぶつかってきて、私の長身を思いきりよろけさせた。驚いて顔をあげると、ぶつかってきたほうもびっくりした表情で振り返ったところだった。
十歳になるかならずかの、なかなか可愛い女の子だ。大きな瞳をまんまるに見開いて、私の顔を見上げている。
自分がうっかりぶつかった相手がただ者ではないことを、察知したのかもしれない。
女の子は、目だけでなく口までポカンとひらいていたが、次にその口をすばやく動かすと、
「おっちゃん、ごめーん」
ひと声叫ぶなり、身をひるがえした。
空耳か? いま、限りなく私に不似合いな単語が発せられた気がしたが……。
ふっ、まあいい。どこの国にも、おそれを知らない無礼な子どもはいるものだ。いちいち関わってなどいられない。
私はクールな態度で肩をすくめると、ポケットに両手をいれて歩みを再開した。その動作は、内心の動揺をかくすためだったのか、あるいは何かの予感があったのか。
雑踏の間から、場違いに低い頭とふわふわした長い髪が見えかくれする。待ちやがれ、このガキ。
しかし、十数分後。私は対象物を見失い、息をはずませながらむなしく立ちつくしていた。まさかこの国に、わざわざ西洋人相手にスリを働こうなどという度胸のいい子が存在したとは……。
だが、しかたない。みっともなく息を切らして走りまわるなんて、私の信条に反している。ここは冷静に、歳末助け合い募金をしたと思ってあきらめなければ。
私は深いため息をつくと、気を取り直すために、うつむいていた顔を上げた。そして、そのとたん、いま自分が立っている場所がどこであるかに気づいて、愕然とした。
そこは、クリスマス商戦なるものの真っただ中にあるショッピング街の一画だった。
きらめくイルミネーションの下、サンタやトナカイ、もみの木や星、鐘にリボンといったおなじみのデザインがあふれている。たえまなく流れるリズミカルで陽気なメロディも、この時期ならではのものだ。
着飾ったカップルの姿がいつも以上に目につき、家族連れもみな楽しげに店先をのぞいている。過剰な装飾といい人々の浮かれぶりといい、盛り上がりもいまがピークといったところだろう。
それもそのはず、今日はクリスマス・イブなのだ。
しまった、と、私は再び心に思った。ショッピング街には年が明けるまで近づかないと、心に決めていたというのに。
この世にイベントは数々あれど、クリスマスほど私をうんざりさせるものはない。
ヴァンパイアとしては当然だ。十字架を天敵と定めて生きる身の上が、その十字架の主であるジーザス・クライストの誕生日を、うれしいと思えるわけがないではないか。
まして、みずからすすんでお祝いするなどもってのほかだ。
ひどく疲れをおぼえた私は、店頭の売り子からケーキを売りつけられないうちに、その場から退散しようとした。
だが幸いにも、そのとき目の前を横切ったものに気がつかないほど、力を落としていたわけではなかった。
いきなり元気を取り戻した私は、すばやく右手をのばすと、子どもの襟首をむんずとつかんで捕まえた。
「待たんかい、このガキンチョ!」
おっちゃんに匹敵する単語を用いて、上から思いきりすごんで見せる。
変装でもしたつもりなのか、敵は品のいいオフホワイトのダッフルコートを着込んでいたが、私の碧眼をごまかすことはできないのだ。
女の子はさすがに青ざめて、往生際悪く暴れはじめた。
「オウ、ワタシ、エイゴワカリマセーン」
「誰が英語しゃべっとんじゃ」
「いやーん、いたいけな女の子に何すんのよお。はなしてえ!」
「何がいたいけじゃ。財布を出せ、財布を」
「知らなーい」
「そしてこのコートは何だ。まさかもう金を使っちまったのか? こんな高そうな……」
「はなしてってば。チカン、ゆーかい、人さらいー!」
周囲の視線を氷の矢のごとく浴びて、私ははっとした。客観的な自分たちの姿を、突然認識する。
無論、予感である。右ポケットに入れていたはずの財布が、きれいさっぱり消えている。しまった、やられた!
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