一日目の君

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「人の魂には後悔を引きずるものが多いですからね。あなたたちの世界で言う〝浮遊霊〟を僕たちの世界では〝浮遊魂〟と呼ぶのですが、死ぬ前の後悔が尾を引けば引くほど悪霊になりかねないんです」 「それは、まあ……」  人の未練や怨念がその土地の地縛霊や怨霊になってしまったなんてよくテレビとかで聞くけど、まさか本当にいるとは思っていなかった。いやでも、それがいったいどう関係があるっていうんだ。 「最近は人口増加の影響で、天界の魂の受け入れ口はほとんど空きがありません。だから死期がズレてしまってはこちらとしても困るので僕はあなたを助けたのです。こちらの世界も常に人手が足りない状況でして、悪霊の処理にあまり時間を割けません。だから生きているうちに先手を取りましょうってことで、死期の事前報告が最近システムとして導入されているんです」  人口増加って死後の世界まで影響しているのか。世界はどこへ行ってもつながっているんだな、なんてまさかこんなところで思い知るとは。 「で、でも、それでなにが変わるっていうんだよ?」 「事前宣告をすることで、その人の後悔や未練を減らすことが可能なんです。残りの人生をなるべく効率よく過ごしてほしい、ということで事前宣告がこちらの世界ではひそかにブームなんですよ」 「ぶ、ブームって……」  死後の世界でも流行(はや)りがあることに驚きだ。もしかしたら死後情勢たるものが存在しているのかもしれない。 「もちろん、リスクもあります。事前宣告によって死を受け入れてやり残したことができる、いわゆる精神が強い人間とは逆に、死に絶望する精神の弱い人間も多くいます。それでは怨念が溜まり逆効果になるので、その場合は事前宣告はせず当日にそのまま命を狩る流れになります」  男はにっこりと細めた目を三日月の形に開くと、「だから本日は」と改めて俺に向かって距離を縮めた。  パーソナルスペースを取るのが下手なのか苦手なのか、向き合うには近すぎる距離に身体を仰け反らせれば、男は構わず笑っていた。 「あなたがどちらの人間なのか判断しようと〝うつし世〟を訪ねていたのですが、予定外の事態が起きたので急遽、僕の力であなたを助けたわけです。ちなみに死神の力に触れた人間は、この世のものでないものまで見えてしまいます。だから、僕の姿がこうしてあなたの眼に映し出されているのも、力に触れてしまったからというわけですね」  男のヘーゼル色の眼が人間離れしていて、近くで見ると必然的に気圧される。俺は少し後ずさりながら「うつし世?」と首を傾げた。 「こちらの世界の呼称です」 「へ、へえ……」  独特な呼び方ってどこの世界にもあるんだな。  顔を引きつらせたままうなずいたが、理解は追いついていない。 「他にわからないことがありますか?」  わからないことだらけだ、と答えたかったが俺は首を振りつつ「あ」と口を開いた。 「じゃあ俺がさっき見たあの映像は……」 「あれはあなたが七日後に必ず迎える未来です。〝フェンスが外れて落下して死亡〟というイレギュラーな事故死を僕の力で助けたから、本来あなたがどう寿命を全うするのか、その映像が反動として視えたのかもしれませんね」 「でもその話、ちょっと変じゃないか? イレギュラーな死なんてあるのかよ。今死ぬのが俺の天命だったかもしれないじゃないか」  これが運命なら、このまま見殺しにしてしまえばよかった話だ。肉体的な寿命を迎えずに理不尽な死を迎える可能性は誰しも隣り合わせにあるのだから。 「あなた、先ほどここで〝普段なら絶対にやらないこと〟をしませんでしたか?」 「えっ」  背中を小突かれた気がして、肩がぎくりと揺れた。冷や汗がこめかみから流れ、目だけでぎくしゃくと屋上の隅を見た。もうあのレシートはなくなっている。  誰しも人生で他人に見られたくない場面というのはあるだろうが、俺にとってそれはさっきの出来事になる。魔が差したとでも言えばいいのか。とにかく、あれはまさしく〝普段なら絶対にやらないこと〟だった。 「そういった気まぐれに左右されるほど人の命は軽く、あっけないものです。いつもはやらないことをやって大怪我をしたり、普段は通らない道を通って事故にあったり。今日に限ってはあなたも経験があると思いますが、選択と寿命は比例するものなんですよ」 「…………」  妙に納得してしまう。人生は選択の連続だけど、ひとつ間違えたら命だって簡単に落とせる。目の前の道を開くも閉ざすも、自分の選択にかかっている。 「想いというのは、繊細に見えてとても強いエネルギーを持っています。あなたが彼女への想いを気まぐれに綴ったことで、時間軸が少々歪んだのでしょう」 「想い……って、ちょっと待て」  聞き逃してしまいそうになったが、俺は目を見開いて男の姿を見上げた。口がうまく開かない。レシートがなくなっていたから、もしかしたら見られていないかもと一縷の希望を抱いていたのに。 「お、お前……見た、の?」 「不可抗力ですよ。たまたまこちらに来たらあなたがイレギュラーな行動をとっていただけです」 「なっ!」  眉根を寄せた俺に男はくすくすと笑って、「彼女、美人さんですもんね」とからかうように小首を傾げた。できることならその顔面を眼鏡ごとぶっ飛ばしてやりたい。 「それに僕は、自分の担当には満足した人生を送ってほしいですからね」 「つまり、あんたが俺の寿命を七日引き延ばしたんだろ?」 「何度も言うように、こちらの世界で死期のズレた者の受け入れ口は残念ながらもう空いていません。本来であれば、あなたはもう七日生きる。それはあなたが生まれた時から決まっていることで、僕もそれを見届けたいと思っています」  なんだかいいように丸め込まれている気がしてならない。どんなに死にたくても七日間は強制的に生きろとでも命じられているような気分だ。 「……勝手だな。俺としてはいい迷惑なんだけど」 「では七日後、あなたがもう一度同じ気持ちだったなら、僕は心から謝りますよ」  男はそう言って、自分の心臓を押さえるように手を胸元に置いた。まるで皮肉られているよう。  その七日後、俺の心臓は動いていないのかもしれないのに。……いや、実際に止まるのだ。あの脳裏に張りついた映像があまりにリアルだったのは、本当にこれから起こることだから。  俺はあんなふうにのたうち回って、もがき苦しみながら死ぬのだろうか。後悔にまみれた姿で死んでいくのだろうか。 「でも、よかったです」 「……は? なにが?」  現実に引き戻されるように遅れて反応をすれば、男が「うんうん」とうなずきながらひとりで納得していた。 「今の感じを見る限り、あなたは死期宣告をしても絶望するタイプではないみたいなので安心しました。まあ何年も観察してきた人間なので、予測はできていましたが」  さらりととんでもないことを言われている気がして、俺はあきれながら腕を組んだ。  もしかしてこいつ、性格悪いな。 「デリカシーないんだな、死神って」 「はい。多少なりとも死を受け入れている人間にそんな些細な気遣いをするのは無駄だとわかっていますので」 「…………」  俺がもしも健康的で普通の人間だったら、この死神を許さないだろう。『ウソばっかり言いやがって!』と憤慨し絶望して、なにも手につかないに違いない。これから先の未来に希望を抱いて夢を見ている人間ならきっと、悲しみに打ちひしがれて当然だ。 「どうかされましたか?」 「いや、どうしようかなって。あと七日も」 「え?」 「だってほら、一週間なんて長すぎ。正直、今死んでもいいし」  死ぬ覚悟なんてとうにできている。死ぬならさっさと死んで、自分を終わらせたい。誰かと比較して、そのたびに劣等感を感じるのはもう嫌だ。  俺は、潮見渚という人生を終わらせたい。 「いずれこうなるんだろうなってそれなりに覚悟はできてたんで。……大体、後悔とか未練とか、俺には無縁なんだよ」  思い残すことを晴らすための事前宣告なら、最初から生をあきらめている人間には無意味だ。 「死ぬつもりで生きてきた人間が、今さらなにをしたらいいんだよ」 「それは、あなた自身にしかわかり得ません。あなたがなにをよしとして、なにを許さず後悔してしまうのか、それは本人の心の中にしかないからです」  肝心なところではぐらかす。いや、正論を説かれただけか。ヒントはそう簡単にくれないのもこいつの性なのか、それとも死神界のルールなのかは定かではないが。 「……そうかよ」 「むすっとしないでくださいよ。あと七日くらい、いいじゃないですか」  にっこり笑って、まるで他人事の死神は宙を楽しげに回った。円を描くように揺れるストラが雲のように尾を引いた。 「死ぬつもりで生きてきたなら、最期くらい死ぬ気で生きてみてください」 「死ぬ気で……」  男を見上げたせいで、俺の目に青い空が映った。くすんでいた視界に一気に光が入り込んだようにも思える。 「そうですね。ただ僕がヒントとして言えるのは、死後の人間は口を揃えて――」  夏風が吹く。じりじりと熱い太陽が俺の肌を容赦なく焦がしていた。男はさらに宙へと浮き上がり、俺から距離を取った。 「もっと自分を生きたかった、と告げますよ」  こんな広大な青空の下、その白い装いはやっぱり死神には似つかわしくないものだった。 「どうか、後悔のない七日間を過ごしてください」  非現実的な光景が広がる中、現実的な言葉を突きつけられて、俺はそのまぶしさに目を細めた。
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