一日目の君

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「牧瀬は、強いな」 「え……?」  そういった強さは俺にはない。自分にはなにもできない、可能性なんてなにひとつないと、あきらめ癖のついてしまった俺には。 「日が落ちきる前には帰れよ。このあと雨らしいから」  彼女の顔をこれ以上直視していたら自分がどんどん惨めになる気がして、話を打ち切った。顔を背け「じゃあな」と踵を返してその場を後にする。 「……潮見?」  首を傾げる彼女のことには気づかないふりをした。  どこまでも続く鉛色の空をぼんやり眺める。どうせなら晴れた日に死にたかった。  まあでも、死んだら一緒か。晴れた日に死のうが雨の日に死のうが。いつまで生きたか、なにをして生きたかも、死んでしまっては大して重要なことではない。行き着く先は結局同じなのだから、どうあがいても無駄だ。 「たっけー……」  ここなら死ねるかな、と覗き込んだ高架橋の下は案外高くて、思わず独り言ちた。  風が強く吹きつけるたびに、このまま落ちたら確実に死ぬんだろうなと、ただただ川の流れを眺める。  人間はこんな単純な方法で簡単に死ぬことができる。飛び込んで、あの水面に身体を打ちつけた瞬間、俺の十七年はやっぱり大したものじゃなかったんだと改めて思い知らされるんだ。  欄干に手をかけ、そのまま軽くジャンプしたあと足をかける。  遺書でも書いておけばよかったかな。いや、いいか。別にわざわざ伝え残したいことなんてなにもない。 「潮見っ!!」  途端、耳がつんざくような大きな声で呼ばれて背中がびくっとした。振り返れば、そこになぜか牧瀬がいる。空からはちょうどぽつぽつと雨が降り始めていた。 「っなにしてるのよ! そんなところで!」  今度は先ほどと立場が逆だ。  牧瀬の弾んだ息にすべてを察した。きっとただ事じゃないと、様子のおかしい俺を追いかけてきたんだ。その証拠に、彼女は裸足のまま荷物さえ持っていない。 「……お前こそ、まだ帰ってなかったのかよ」  間を空けて答えれば、彼女はなにかを伝えたげに口を開いたあと、自分を落ち着かせるように静かに深呼吸をしていた。 「……なんで足かけてるのよ」  どこか怒りも孕(はら)んだ低い声に俺はやっぱり気づかないふりをして「別に」と短く返す。言い訳なんてなにも思いつかなかった。 「なんで」 「だから別に」 「潮見!」  音をぶつけるように名前を呼ばれる。牧瀬にはなにもかも筒抜けな気がした。  もういい。はぐらかしても仕方ない。 「……飛び降りようと思って」  どうごまかしても無駄な気がして、正直に答える。 「どうしてよ、雨降るから早く帰れって言ったのは潮見なのに」 「そうだな」  ため息をつきながら遠くを眺めた。 「ねえ、なんでそんなところから――」 「死のうとしてんだよ」  わかんだろ、と続けた俺は橋の下へ顔を逸らした。 「……俺たちはどうせいつか死ぬんだ。それが早いか遅いかだけの違いしかない。いつ死んでも変わらない命なら、今落としたって一緒だろ」 「なに言って……」 「最近さ、一日の価値を考えるんだよ。ここで努力したとして、その成果は結局どこに行くんだって。どうせ俺は早死にするし、心を奮い立たせたところで無理したら本気で疲れるし、冗談抜きで命も削る。そもそも頑張ることに意味を感じない」  毎日真面目に一生懸命生きたとして、もし明日死んでしまったら? 積み重ねてきた努力も水の泡になるって話。この世は不平等で理不尽で、さっさと終わらせたくなる。 「今日死のうが明日死のうがなにも変わらないんだったら、死にたい気分の時に死にたい場所で、自分にとって最高のタイミングで死んでおこうってだけ! 悪くないだろ」  顎先を上げて、フンと鼻を鳴らす。この世のすべてを最高にバカにしている気分だった。  牧瀬の反応は、わざわざ見なくても予想がついた。彼女のことだから、あの冷静な顔つきで、なにを言おうか気を遣って躊躇したあと、困った目をしながらこちらを見ているに違いない。 「潮見が死んで、悲しむ人がいたらどうするの……?」  ほらきた。やはり真面目な牧瀬らしく、まっとうで綺麗事に聞こえる言葉を投げかけてきた。  あまりに想像通りで、思わず鼻で嘲笑う。 「将来なんの見返りもない、お荷物な俺の死を本気で悲しんでくれる人がいるとは到底思えないけど」  ぽつぽつとまばらに降っていた雨は、だんだんと勢いを増していた。 「つか、今の時点で生きる意味も特に感じられないしー――」  手に今一度力を入れて、今度こそ欄干の上に乗ろうとした瞬間、思いっきり肩を引かれた。それがあまりにも突然で、体がよろめき地面に背中から落ちてしまった。小さな砂利が肌を傷つける。  なにが起きたのかと状況を理解しようと見上げた先には空があった。そこから覗き込むように彼女が現れたと同時に、なにかが破裂したような大きな音がそこら中に響き渡った。 「しんっじらんない……っ」  思いっきり頬を叩かれたのだと把握したのは、彼女に胸倉を掴まれて上体が少し浮いた頃だった。 「信じらんない信じらんない。なんでそんなこと……! あんた、自分がなにを言ってるかわかってんの!? ガキみたいなマネするんじゃないわよ!」  雨音が強くなり、目の中に雨粒が数滴入り込んだ。俺は鈍くなった視界で、彼女の顔がまともに捉えることができずにいた。 「潮見はいったい今までなにを見て、なにを感じて生きてきたんだよ!! あんたと私が出会ったことさえ死んだら無駄だって言ってるの!?」 「っまき――」
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