二日目の君

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 髪を背中側に払い、顔を逸らしてむくれた様子で歩いていく彼女。  それだけじゃない? どういう意味だろう。 「牧瀬」 「相変わらずデリカシーがない」  目も合わせないまま牧瀬はどんどん先に進んでいく。 「どういうことだよ」 「いいわよ、別に」 「牧瀬って!」  思わず腕を掴み、引き止めるように力をこめたら、牧瀬が後ろに倒れそうになった。「わっ」とよろけた彼女から慌てて手を離し「悪い」と謝れば、少し間の抜けた様子で「な、なに……?」とこちらを振り返った。 「学校、一緒に行ってくれるん……だと思ってたけど……解釈違いなら、えっと……あー……」  なにをどう伝えればいいのかわからずに口ごもってしまう。つまり、『一緒に行こう』って言いたいのになかなか口に出せない。どうしてこうも素直になれないのだろう。  時間がない。今、この瞬間はもう二度と来ることがないと頭の中では理解していても、素直になれるかなれないかは別問題なのだと悟った。長年染みついてしまったそれを今さら変えるのは難しい。 「……普通、言う? そんなこと」 「えーっと、ごめん」  頭をかきながら曖昧に謝る。  言葉選びって難しい。こんな些細な事実、今まで気にしたこともなかったのに。  死ぬとわかってから、生きることに慎重になっている自分がいた。 「はっきりしないし」 「だって……滅多にうちに来ないし、昨日のことがあったとしても向かう先は同じだし……」  やっぱりコミュニケーションは苦手だ。頭で考えれば考えるほど、人との関わりはうまくいかない。 「だからってわざわざ口に……!」 「だって牧瀬が怒って先に行くから」 「それは潮見に!」  冗談めかして「デリカシーがないから?」とその顔を覗き込む。 「っい、今もまさにない!」  彼女は少しだけ頬を赤くして、怒ったように顔を逸らした。  内容はどうしようもないのに、こんな小気味よい彼女との会話は久しぶりで、ずっと続けていたいなと思う。  なんだかんだ言いつつも、彼女は歩く速度を落としておとなしく少し前を歩いていた。それに少なからず安心する。先に行かれてしまっては、牧瀬と一緒にいる時間がますます減ってしまう。  子供のころはなにも考えず隣を歩いていたのに、いつの間にか素直に並べなくなった。なにか理由をつけなければ『一緒に学校へ行こう』とすら誘えない関係になってしまったなんてな。もはやこの微妙な距離感が、俺たちの関係をうまく表しているようにさえ思える。 「牧瀬さ、学校でもそんなふうに自分を出せばいいのに」 「……別に、変わらないでしょ」  少し間を空けて答えた彼女は、長い黒髪を背中のほうに払った。  その背中から、ひとりでも平気だと急に壁を作られたように感じて、俺はこの残された時間で果たして彼女を笑わせることはできるのか一気に不安になってしまう。  学校に着いてから、互いに靴を履き替えようと下駄箱に向かった。かかとを整え、つま先で床を叩く。いつまで経っても牧瀬が来ないのでおかしいなと様子を見に行けば、下駄箱の前で突っ立ったままの彼女の姿を見つけた。 「なにしてんの? 履き替えないの?」 「えっ……あ……」  咄嗟に彼女が下駄箱を押さえるように手で戸を閉めた。  尋ねたあとすぐにすべてを察した俺は、本気でデリカシーのないことを聞いてしまったと反省した。  そうだ。彼女は昨日、裸足だったじゃないか。靴になにかされたなら、上履きも恐らく被害にあっている可能性がある。察したように靴箱を見て「あー……」と声をこぼした。 「わ、たし……」  なにをどう伝えればいいか困っている彼女に、俺は特別な言葉をかけるわけでもなくそのまま踵を返した。そして来客用のスリッパを取って、すぐ彼女の足元に置いた。 「これ履けば。いいだろ、なにもないより」 「え……あ、そうだよね……」  俺のを履いたら、なんて格好いいセリフは口にできなかった。大体、そんな姿を見せて相手を煽っても仕方がないし、サイズだって……。それに他人の履いたものなんて彼女もごめんだろう。靴の共有はなるべくするものではない。 「あの……聞かないの? 昨日のといい、今の……」  よし。俺の選択は間違いなかったはずだ、と自分に言い聞かせていると彼女は気まずそうに髪を耳にかけていた。 「わざわざ言いづらそうなことを聞くほどデリカシーがないわけじゃない」 「さっきとは大違いね」 「聞いてほしいなら聞くけど」  目だけで彼女を見た。人を気遣うのは昔から苦手だけど、ここで変に装っても仕方ない。相手にも不快感を与えかねない。 「……いらない、大丈夫」  彼女は俺の顔を見たあと顔を逸らし、前を向いた。人は強がっている時ほど、弱っている時ほど、自分に暗示をかけるのはどうしてだろう。意地が邪魔をするのか、虚勢を張っているのか。  まだ心に余裕のある人たちのほうが案外すぐに助けを求めてくれる気がする。不器用な人はきっと、いつまでも生きづらい。  このまま彼女を教室に行かせてしまっていいのだろうか。 「じゃあ私……自分のクラスに――」  背中を向けた彼女に、俺は自問自答した末、「そういえば!」と慌てて声をあげた。 「写真が入選してたな。おめでとう」  今までだったらこんなところで引き止めやしない。気の利かない昔の俺は、相手の沈んだ心に手を伸ばそうなんてしなかった。  けど、今は昔と違う。限られた時間の中でこの人を笑顔にしたいと思っている。 「え? ああ、ありがとう」  戸惑った彼女の表情を見ながら、俺は意を決して「それって」と一歩踏み出した。 「今はどこにあんの?」 「原本の写真は展示会場にあるから今は手元にはないけど……複写なら部室に……」 「じゃあ、部室行くか」 「えっ、なんで?」 「今から教室に行っても中途半端だろ。キリよく次の授業から出るほうがいい」 「授業の途中から教室入ると変に目立つしなー」と勝手に話を進めて歩き出した俺に、慌てて牧瀬はついてくる。「急になに言ってんのよ!」とか「潮見、変!」とかいろいろ罵声を浴びせてきたけど、適当に流しながら俺は写真部の部室にやってきた。  よく世話になっている清掃室を通り過ぎて、そのまま廊下を突き進む。生ぬるい風が窓から入り込み、思わず窓の外に目を向けた。  季節はすっかり夏だ。昨日までは荒れた天気が続いていたのに、今ではこんなに晴れている。この綺麗な青さがしばらく続くのだろう。  じわじわと滲み始めた汗に、シャツを掴んでパタパタと仰ぎながら部室の前に着くと、彼女は「潮見のせいで今日はたくさん怒られそう」とあきらめた声色でつぶやいた。 「はいはい」と適当な相槌を打ちつつ、ドアの取っ手に指を引っかける。室内はなんだか独特の匂いがした。  部室というのは、どこか他人が入っていけないような空気がある。入室を躊躇していたら「なにしてんの潮見」と背中側から牧瀬に声をかけられた。 「いや、初めて来たなって。写真部ってこんな感じなんだ。パソコンもあんのか」 「まあ画像処理もするし……」 「ふーん」
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