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虫襖色(むしあおいろ)のチェックスカートはうちの学校の制服だ。華奢(きゃしゃ)な背中にかかる絹糸のような線の細い黒髪は、なでるように風に吹かれている。合わせて紺青色のセーラー襟が後ろに向かってなびいた。
絵になるくらい綺麗な佇まいをした彼女になんだか心がざわついた。なぜなら、あの背中に見覚えがあるからだ。早く行こう、そう気持ちが急いても足が動かなかった。
彼女は靴も履いておらず、ひざ下から足先まで薄汚れている。川の中に入ったのだろうかと思うほど、泥だらけだった。足元に置いてあるカバンは水浸しにも見える。
彼女の身になにかが起こったのは確かだ。なのに、その後ろ姿は汚れた格好に似合わず凛としていた。ますます俺の胸は落ち着かず、ざわめきが止まらなかった。
不意に彼女が振り返った。その瞬間、どうして俺は先を急がなかったのだろうと少し後悔した。
「潮見……?」
「牧瀬……」
相手が俺の名前を呼ぶ。今さらごまかせるはずもないので、俺はそのまま彼女の名前を呼び返した。
アーモンドのような形をした大きな瞳にはなんだか涙が溜まっているように光が集まっている。目を見張った俺に、彼女はハッと弾かれたように表情を引き締めた。
「なに、してんの」
「そっちこそ、ここ帰り道じゃないのに」
「なんだよ。まさかまた嫌がらせでもされてんの?」
彼女がひとりで佇んでいる姿を見たのは一度や二度じゃない。こんなふうに学校外では初めてだけど、校内ではよく見かけている。そのたびに声をかけようかためらって結局できずじまい。どんな時も彼女は毅然とした態度を崩さないから、声をかける隙がどうしてもなかったのだ。
「なんのこと? されてないし」
「じゃあなんで――」
いつもひとりでいるんだ。そう続けようとしてやめた。彼女は強情だから、きっと素直に首を縦に振らないだろう。
「ていうか潮見。すごく久しぶりに話しかけてきた」
「いや、お前が先に俺の名前を呼ぶから」
「先に気づいたのは潮見でしょう?」
少し潤んだ目を隠すためか、牧瀬は前髪を払うようにして目元を指先で押さえていた。
どんなに強がっても、やっぱり嫌なことに傷つかないわけじゃない。彼女の姿を前にして、俺は今まで彼女に手を伸ばしもしなかったことを後悔した。でもまた〝あの時〟のように拒絶されてしまっては成す術もないのだけれど。
「そこから私の様子を観察してたんじゃないの?」
「誰が。ただ、うちの制服きた女子が裸足でなんか変な格好してるなって見てたら、たまたまお前だっただけ」
カバンを肩に持ち直しながら彼女から目を逸らす。夕日に視線を移せば、もう少しで沈んでしまいそうだった。鉛のように重そうな雲が遠くの空からこちらに向かっている。
そうだ、今日は夕方から夜にかけて雨が降るという予報だった。早く行かなくては。どうせ死ぬなら天気のいいうちがいい。最期くらい縁起よく終わりたい。
なのに足が動かない。俺はなにか彼女に言いたいことでもあるのだろうか。
「なにそれ、駆け寄って声をかけようともならなかったの?」
その瞬間、なぜか死神の言葉が呼び起こされた。
『事前宣告をすることで、その人の後悔や未練を減らすことが可能なんです。残りの人生をなるべく効率よく過ごしてほしい』
どうしてこのタイミングで思い出したのだろう。俺は……彼女にまだなにか未練があるのか。
は、と息が止まり彼女の顔を食い入るように見つめてしまう。そんな俺に「潮見?」と彼女が首を傾げたので、咄嗟に口を開いた。
「あ、いや」
彼女に対して後悔が生まれているだなんて……いや、そんなはずはない。後悔することなんてなにもない。ただ、手を伸ばせばよかったな、少しくらい手助けしてあげればよかったなと、うっすら思ったぐらいで別に……。
振り払うようにして、「牧瀬さ」と口を開いた。
「自分が明日死にますって言われたら、どうする?」
「え? なに、急に」
「いいから。教えてよ」
訝しげな顔をした牧瀬が、俺の顔を土手の下からこちらを見上げている。そして、少し間を空けたあと。
「……死なない」
凛とした表情で短く告げた。やけに輪郭がはっきりした音に、俺は「え?」と間の抜けた返事しかできなかった。
「死なない、だってやり残したことたくさんあるもの」
「なに言ってんだよ、そうじゃなくて――」
「私は、後悔なんて残して死にたくない」
まっすぐと見つめられて、ぎくりとした。まるで説得されているようで、どこか心が苦しかった。
「今のままじゃ死ねないのよ、私は」
言葉の一つひとつに意志の強さを感じる。牧瀬帆波がいつもどこか地に足がついているように見えるのは、ぶれない信念を持って日々を過ごしているからだ。
だからこそ、やっぱり彼女に会いたくなかった。いつまでもゆらゆらと定まらない生き方をしている自分が責められている気分になって居心地が悪かった。
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