アフリカ氏の冒険

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アフリカ氏の冒険

夏の事であった。N社の引っ越しが終わって、その七つの部が仕切りを変えて社員が新しい隣同氏に馴合い始めた。引っ越しの案を作成した者の名前が今になってそんなに重要ではありませんが、結果としては、寒がり屋のアルチョム・アフリカンツェフ氏の缶詰部が涼しさを好むマトリョーナ・レドコロワの経理部と隣接する事になった。この二人のどちらかが席を離れれば残った方が好きなように気温調節を行うので、周りの人が「気候戦争」に介入するよりは「冬」が来たらセーターを着、「夏」が来たら裾を巻き上げていた。エアコンだけが可哀そうに涙に見える液体を垂らしていた。 N社のオーナーがエアコンの修理代をケチってアルチョムを本社から1000キロ離れたサマラ支店に派遣した。 サマラ市はバリ島では無いが、モスクワより平均温度が3度も暖かく、アルチョムが嬉しかった一方で、地方都市で缶詰が売れるのかなと若干の懸念を抱いていた。家賃を安くしようとサマラの更に南方にあるプチョーロフスク町でアパートを借りた。 月~金はバスでサマラ市の事務所まで通い、店舗視察、在庫管理、広告宣伝、販売等と幅広く拡販に努めたが、景気の低迷、健康志向で缶詰の売れ行きが今一つだった。 土日はプチョーロフスクで過ごす事にした。村のような感じの僅か3万人の小さな町であった。市場で焼きたてのパン、新鮮な野菜とミルクを買って町をぶらぶらしながら休日なりの「市場調査」をやっていた。公園を通っているとパビリオンには卓上ゲームをやっている数人の老人が見えた。近づいてみれば一部がチェス、一部がトランプで、トランプの連中が余りにも真剣そうでチェスの連中にくっつく事にした。横から数分ゲームを眺めていて、誰も声をかけてくれない。でも、冗談を交えながらコマを動かしているからトランプ陣に比べて雰囲気が楽である。 負けた人が次の人に席を譲るルールみたいで、アルチョムがやってみるか今回は遠慮するか迷いながらゲームを眺め続けていた。老人なのにかなり上手そうで、負けるだろうとほぼ確信した。ゲーム一回は相手毎に5分づつ与えられ、歩打ったらブリッツ時計のボタンを押す。焦ってやりながらミスも頻繁に出て、しくじった時のセリフでアルチョムが魔法をかけられたかのように離れられずにじっとゲームを眺め続けていた。 「やってみる?」と一人の老人選手がアルチョムに尋ねた。 「はい」とあまり自身なそうにアルチョムが白陣側に腰を掛け、E2の歩を二桁先に進め、ブリッツ時計のボタンを押し込んだ。 間もなく先手にもかかわらず黒陣が攻撃に移り、どうか引き分ければ十分とアルチョムが防衛の技で精一杯。頑張っても白いコマが次々と盤から弾かれていき、僅かな5分も満期されない内に王手詰み。。。 アルチョムは、自分を負かした相手と握手し、次の選手に席を譲った。 腹が空いてパンから一片裂いて噛みながら町を歩いた。ミルクも取り出してぐっと飲みかけたらチェスをやった2時間で若干酸っぱくなったがさすがに搾りたてのミルクのコクが元気を取り戻した。スタジアムが見えてきて試合をやっている声が耳に届き始めた。近づいてみるとバスケットボールのリムに点を入れるが、ボールを地面に叩くようなドリブルがなく、ラグビーみたいにボールを抱えて走り、相手が手や肩を掴みながらボールを奪おうとする。観客も一人いて、長い顎鬚を生やしたお爺さんがベンチに座って試合を眺める。アルチョムも横から座り、話しかけてみた。 「面白いゲーム。みたことがない。」 「ラグビーボールというんだ」 「きいたことがない」 「みんな楽しくやっている。Tシャツが直ぐ破れるけど。ハッハ」 老人が笑った途端にアルチョムが腹が痛くなったことを感じた。ミルクが酸っぱかったからなのか、大都会の空気から突然村の新鮮な空気と食べ物に切り替えた体の反応なのか分からないが、早めに家に戻る事にした。 酷い下痢でトイレで一時間ぐらい過ごして、直ぐ寝た。 初の休日に印象が有り触れた所為なのか悪夢見て、赤旗を掲げる老人が出たり、石で躓いて転んで手が離れた貴族が出たり、洞窟のなかに大勢の人が屯したり、最後に藪の中から蛇が飛び出たりしたら冷たい汗を掻いて目が覚めた。 あの悪夢に出た全てが先日ぶらぶらしていた風景の中で見えたのできっと実際に起きた出来事か実在しているものだとアルチョムが確信し、現地の博物館や知人に調査をかける事にした。 日曜日に朝早く起きて、博物館に向かった。チケットを買って壁やガラス張りのテーブルに展示された写真・書類をゆっくり読み始めた。 悪夢に出ていた赤旗を掲げた老人の写真が出た。写真の下にあった説明によると、1861年にロシアで農奴制が廃止となった時に農奴達が自由を金で買えるようになったが、自由を買える金がないじゃないかと反抗感を持ったプチョーロフスクの翁一人がそのぼろぼろの赤色のパンツを棒に付けて旗みたいに掲げて謀反を起こしたという。その時は何の成果も得られなかったが、その56年後の1917年には赤旗を掲げたレニンを中心とした共産党が十分成功した。 「なるほど、赤旗が翁のパンツから始まったんだ」とアルチョムが舌打ちした。 もう少しぶらぶらしたらニコライ一世の写真があり、1835年にプチョーロフスク周辺でその馬車がひっくり返り、皇帝自身が肩を骨折し、2週間ぐらいプチョーロフスクで過ごしたと書いてあった。その馬車がひっくり返った大石が記念碑となったのでアルチョムが次の週末に見学する事に決めた。 洞窟の謎も解けた。プチョーロフスクの郊外に山修道院があり、その中に仙人小屋が数十個掘られ、その下に更に地下の湖があるそうです。正教の古儀式派で、孤立して暮らしているらしい。洞窟山が大石からかなり離れているが、方向が一緒なので纏めて見ればいいと思った。 藪蛇以外に悪夢に出た謎のものについて十分調べられたので一安心はしました。充実した土日に満足したアルチョムがアパートに戻り、月曜日のプランニングに入った。 アイスブレーカー氏の冒険 アフリカ氏がN社の本社から流刑出張に出されてほぼ3か月経った。涼しさを好むマトリョーナ・レドコロワ経理部長は、「気候戦争」の相手がいない間にエアコンを頑固に「冬」モードにしていた挙句、「アイスブレーカー」というニックネームまで付けられ、N社のオーナーにサマラ州へと派遣される羽目となった。 「気候戦争」相手であるにもかかわらずアフリカ氏がアイスブレーカーさんに現地の事を丁寧に説明し、仕事も日常生活も含めて多面的に手伝った。生まれてからずっと大都会で育ってきたマトリョーナにとっては村の生活が初の経験だったのできれいな空気から夜眠れなくて(エンジンのかかった車をベッドの傍に置いて欲しいぐらい)、新鮮なミルクと野菜から数日連続下痢が続いていたが、ようやく治ったらなんと大都会の生活を悪夢みたいに思い出したくもないようになった。雌牛を飼っている友達が出来て、毎晩ミルク搾りの練習に遅れないように6時ピッタリで事務所を飛び出していた。 アフリカ氏からプチョーロフスク近辺の歴史が随分深いと聞き、図書館にも通い始めた。山修道院、皇帝の馬車転がり事件、数年前に近隣の森で宇宙人の死体が発見された等のマトリョーナにとって興味のある話が分かってそれぞれの場所を土日に回る事にした。 ある日曜日の朝、マトリョーナが自転車に乗って皇帝の転がり事件記念碑、山修道院を見に出かけた。前日の夕食に美味しいパンケーキを食べ過ぎた所為か、数キロ走ったのちに自転車のスポークが曲がり、くさりが外れがちになり、毎回修理に20-30分かけながらじりじり進んでいた。皇帝の転がり事件記念碑までたどり着いたのは昼過ぎの2時頃であった。幅も長さも1メートル以上であり、見逃せるサイズではないと思い、皇帝の運転手がやっぱり居眠りして気付かなかっただろうとクロワッサンをかじりながらマトリョーナが考えていた。クロワッサンを食べ終わり、周りの風景を撮影し山修道院を目指して旅を続けた。 森に入ったところではスポークの一部が抜け、後輪が波型になりフレームに引っ掛かり始めたが、修道院まで辿れば異能を持っているとされる修道士がきっと手伝ってくれると強く期待して必死にペダルを回した。洞窟山が木の隙間に見え始めていた途端に右の横からシューっと音がし、見ると、2メートル程長い蛇が這い近づいていた。びっくりしたマトリョーナが左折し、曲がったホイールがフレームに引っ掛かり、下り坂から転がった。谷の底まで至ったら何らかの沢なのか水たまりなのかに当たり、右の膝に鋭い痛みを感じた。助けを求めようと電話したかったが、携帯も水たまりに落ちた所為電池が付かなくなり、唯一乾いていた軽いマフラーで電池を拭いて草の上に載せて携帯が乾くまで待つしかなかった。ストレス、痛みや疲れが溜まって間もなく眠った。 目が覚めたら星空が見え、夜の7時と8時の間ぐらいだと思った。電池を携帯に入れ、スイッチボタンを押し、画面が付いた!電気があまりなかったが、直ぐアフリカ氏に電話した。森に入ったところの左横の谷の底にいるとしか説明できず、足を痛めたから動けないと説明したら電池が死んだ。 アフリカ氏がプチョーロフスク市の非常事態省に電話をかけ、救命団体がヘリコプターで森の辺りを目指した。真っ暗にもなっていて、ヘリコプターにシグナル出来る携帯の電池が恐らく死んでいると推測し、修道士の助けを求めなければマトリョーナが夜どこかの野獣に食べられると一目瞭然だった。アフリカ氏は、ヘリコプターの縄梯子から直接洞窟山に下してもらい、洞窟に入った。洞窟の壁には窪みが掘られ、一人前の祈り部屋として設けられ、蝋燭を付けて修道士達が祈っていた。アフリカ氏が一つの窪みの前で跪いて助けを求めた: 「恐れ入ります。森の中で友達が死にかけている。手伝ってもらえないだろうか?」 仙人が首を傾け、「大丈夫だ。みている」 「なにをみていらっしゃる?」とアフリカ氏が驚いた。 「苦痛の場所をみている。祈り終わったら案内する」と仙人が答え、またも祈り続けた。 アフリカ氏がヘリコプターの運転手に電話し、着陸できるところで一旦着陸してもらい、仙人の祈りが終わるまで待つことにした。 20分後に祈り終わった仙人が窪みから出て、「付いて来い」と言い、暗い森の中へ進んだ。15分後にマトリョーナのいる谷まで着いて無意識状態のマトリョーナを発見した。 「ヘリコプターも来ているので携帯提灯でシグナルを送るので引き上げよう」とアフリカ氏が提案した。 「無理。僕の家まで運ぼう。近いから。妻が薬草で癒す」と仙人が言い、アフリカ氏に反論の余地がなかった。 ///////////////////////////////////// 「俺がこの地で肩を折ったから、呪われている辺りだ」と声が聞こえた。 「我々はこの地で400年以上も祈っていて、神に恵まれた辺りだ」と数人の声からなる合唱団が答えた。 蛇が藪の中から現れ、追い詰め始めた。怖くなった。 ヘリコプターが飛んできて、空で巡回しながら近づき、鼻に着く。。。 冷たい汗を掻いたマトリョーナが目を覚ますと眠たそうなはえが鼻先から飛び立ち、ふらふらと何処かへ飛んだ。部屋の片隅から鈍い囁きが聞こえ、仙人がイコンに向かって祈っていた。 「よはお、すまいざご」とマトリョーナが挨拶し、言葉が逆さまに出て来たことに自分でもびっくりした。 「おはようございます」と仙人が普通に答えた。 「こどはここ?」とマトリョーナが尋ねた。 「ここは空間が曲がっている異常地で、慣れていない人が自然に言葉を逆さまに発音し始める」と仙人が説明した。 「でんな?」 「数年前に宇宙船が事故に当たって異常地になった」 説明に満足したのか、疲れと痛みに負けたのかマトリョーナがまた寝た。 朝、目が覚めたら見回ると、部屋に仙人がいなく、椅子に座りながらアフリカ氏がスマホをみていた。 「おはよう」とマトリョーナが挨拶し、言葉が普通に出ていることに気づいた。 「おはよう、どうだい、足の具合?」 「大分いい、仙人は?」 「山修道院に出掛けた。奥さんと子供を連れて。」 「この辺で宇宙船が事故にあったとかそういう話を聞いた事ある?」と先の夢を思い出しながらマトリョーナが聞いた。 「なんかあったらしい。キノコを摘みにくる数人が頭痛や吐き気にあったと聞いた」 「やっぱり本当だ、あの夢」 「何の夢?」 「仙人が夢に出て、ここが異常地なので初めてここへ来た人が言葉を逆さまに話すという夢」 「面白い夢だ。この辺りには確かに何か神秘的な感じがある。一昨日もあなたを救いに出て、仙人に手伝いを求めたら「苦痛の場所を見ている」と言った。ということは祈りの中であなたがどこにいるかを遠隔的に見ていた訳。」 「一昨日?私が二日間連続寝たということ?」 「そうなんだ。僕が仙人の布団を借りて二日間くらしてる。森の奥へ行けば確かに頭痛を感じた。宇宙船が事故って、異常地になってきたとは何となく信じる」 「逆に言えば、異常地だからこそ「遠隔にものをみる」異能が得られるのでは?」 「まあ、苦しい環境で人が頑張れば実力が増えると同じことかな」 「仙人が私を救ってくれて感謝しなっきゃ」 「それは既に考えた。缶詰の特別シリーズを製造してもらう」 「だらさぶんこ」 「なにそれ?」 「こんぶさらだの逆さま言葉だ。異常地語」 ////////////////////////////////////// 「昆布やりませんか?」と本社に問いかけたアフリカ氏に対して「やりたいなら供給先を自分で探し、物流も含めて考えなさい」と冷静に返された。昆布についてインターネットで調べたらサハリンに出張することになった。オホーツク海で昆布を獲る現地の缶詰工場と「Nだらさぶんこ」PBシリーズの生産に関して意外と安易に合意し、ウラジオストクで物流調査をしに向かった。飛行機内雑誌をめくっているとウラジオ近辺に最近出来たカジノ村についての記事に引かれ、学生時代興味深く読んだドストエフスキーの「賭博者」に描かれたルーレットの戦術を思い出し始めた。何となく偉大な作家の戦術を実践してみたくなった。時間も特に決まったアポがなく、大丈夫そうで、到着したら直接カジノ村にタクシーを走らせた。 「結晶製虎」というカジノがピカピカとネオンに光り、中に入るとアジア人に見える人が多かったが、元締めが数か国語を喋れるロシア人。アフリカ氏がジェトンを10個ぐらい買ってルーレットテーブルに向かった。前のゲームが終わったら12のマスをカバーする形で3個のジェトンをかけた。12のマスの一 つが当たって8個が戻ってきた。かけるジェトン数を3個か4個かで変えながら勝ったり負けたり続けたが7回以降運が完全に悪くなり3連敗後に止めることにした。手持ちのジェトンをまた金に交換すれば若干のプラスで終わった。カジノの近辺に倉庫領域もあるようで物流調査の一環として早速そこに行くことにした。 倉庫会社が普通輸送も出来るのでサハリンの昆布をプチョーロフスク市まで運べる数社が出てきて、見積もりを比較して一社を決めるだけのお仕事。満足気にホテルまで辿った時点で  ズボンで異様な雰囲気を感じ、手で触ってみると尻辺りでジパンが真っ二つに割いてあった。カジノで余りにも興奮して椅子にもじもじした所為なのか、倉庫回り最中に破れたのか分からなかったが、新しいズボンを買わなっきゃ。 チェックインして近所のモールに向かった。ズボンに見えるものが売っている最初の店に飛び込んだ。 「ズボン買いたいですが」 「あなたが髪の毛が黒いので黒いズボンはお勧めしません。カラータイプが「冬」なので青いジパンも似合わない。ベージュのチノパンツいかがですか?」と売り手が勧めた。 「なぜ私が「冬」タイプですか?」とアフリカ氏が不思議に尋ねた。 「あなたが冷たいんですよ。あなたを見ればすぐ分かるんですよ」 そう判断されれば冷たい部分は確かにあると反省しつつ、アフリカが黙って従うことにした。 「じゃあ、ベージュのチノパンツ試着してみます」 「ベージュのチノスには太い縦縞柄のパルカが似合うので合わせて試着してみてください」 「なぜ太い縦縞柄のパルカが合うんですか?」 「あなたが痩せているから太い縦縞柄で少し体重が増やせるビジュアルな効果がある」 そう言われて試着室でチノスと縦縞柄パルカを着てみた。感覚的には生まれ変わった感じ。あんな若者恰好が似合うと思わなかった。両方を買う事にした。 「知り合いでポチャリとした「夏」タイプの女性がいますが、彼女に多分細い縞柄のドレスが合うのだろうか?」 「薄い鼠色の縞柄ピナフォアドレスが最適だと思う」 「ありがとう。面白かった、あのカラータイプの選び方」 /////////////////////////////////////////// 空港に向かうまでに若干の時間があったのでモールの一階にあるスーパーで缶詰の品揃えと値段をチェックする事にした。案外、サマラ州と違って中国や韓国品が多く、暗記しきれないと思ってスマホで写真撮りまくった。アイスブレーカーに「いかたがんだねちっこ」と異常地語でsmsを打って、送信したところに「お前、スパイしているの?」と声かけられた。振り返ると、店のガード二人並んで、じろっと睨んでいる。 ― 写真を削除しろ!と命令され、従わざるを得なかった。 アフリカが削除している振りをしたが、一人のガードが近づいて管理し始めた。 ― あの変なsmsは何?我々の議員Nechikkoを悪くでも言っているのか? ― いいえ、それは「ここは女性がきれいです」という意味で、タタール語で。とウソ付いた。 ― イリダール、お前はタタール人だろう?と二人目のガードに声をかけ、タタール語で「女性がキレイ」とどうなるの? アルチョムがばれそうだと実感し、額に冷たい汗が染み出た。 ― 知らん。おれの爺さんが戦後にここへ移り、ロシア人と結婚し、僕がタタール語で三つの単語しか分からん。 アルチョムがほっとした。 ― じゃあ、帰れ。またスパイするなよ。パスポートデータを書き写したで。 数分後に外に出て、アフリカがむさぼり強く新鮮な空気を吸い込んだ。ストレスが解消したら空港に向かった。誰が作ったかすっかり覚えていないが、改めてあの二行の詩を思い出した。 人生が全て戦いなので ラクダにこぶ二つあるんだ。
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