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『ちはやぶる 賀茂のやしろの ゆふだすき ひと日も君を かけぬ日はなし』
(宮司が神事の際に必ず掛ける襷のように、一日たりともあなたを想わない日は無かった)
不意に柱の陰から送られたのは、熱情的な恋の歌だった。
咄嗟に扇を広げて、涼音は顔を隠した。
『誰をかも 待ち人にせむ 姫小松 知る人いれど 友ならなくに』
(いったい誰を待ち人にしようと言うのか、変わらぬ私を知る人はいても友ではないのに)
誰何を問う返歌とすれば、柱の陰から身を曝したのは涼の右腕である秋時だった。
「一姫様。よもやご存命でいらしたとは……」
「秋時……久しいですね」
姿を見られてしまったからには、口に戸を立ててもらわないといけないが、一姫であることを涼者は、否定しなかった。
涼の側役である秋時には、知っていてもらう方が良いように思えたのだ。
「一姫様っ!!!」
それは歓喜に打ち震えた抱擁だった。涼音は秋時に抱き竦められながら、落ち着かせるように、その広い背に手を添えて宥める。
「秋時、気苦労をお掛けしましたね。ですが……」
続ける言葉を阻むように、憚ることの無い力強い抱擁が苦しい。とても抗えそうもない熱量に涼音は少し狼狽えてしまう。
「あの日、あなたは死した者と諦めておりました。これが夢でないなら、私は諦めない。もう、二度と失いたくない」
心の奥深くにまで根付く悔恨。そしてそこにある深い情愛を知った。
「秋時に教えたのは涼なの?」
浮き出た疑問を秋時に訊ねる。
秋時が偶然に知るには出来すぎている気がした。
「涼様はあなたと添い遂げろと……」
その言葉には大いに動揺してしまう。
「なっ……それは、なりません!私は誰かに嫁ぐ気などないのです」
「三日です。これはその始まり」
その言葉の意味に驚くよりも怯えた。
男が女の元へ三日通えばそれは婚姻の成立を意味する。
信頼しきっていた弟の、涼の裏切りに心が締め付けられる。否、理性の部分では分かっている。弟は、姉に普通の女の幸せを与えたかったに過ぎないのだ。今、己を抱き竦めている手の意味を、涼音はようやく理解した。
「やっ……!」
それでも答えは否だ。涼音は帰りたい。
あの無愛想な鬼神の元に帰りたい。
例えこの命を削ろうとも、傍にいると決めたのは誰の為でもなく、己の欲だった。
『鞍馬小天狗』と異名を馳せる者とは思えないほど、情けなく震える華奢な肩、それを秋時は、二度と離すものかと強い意志で抑え込んだ。
「一姫様……いいえ、涼音、頼む。私のものに」
秋時は切ない眼差しを向け、すぐ隣の部屋へ御簾を乱暴に引き下ろしながら涼音を連れ込んだ。既に用意されていた褥。誰も寄せ付けぬ、人気のない回廊。その全てに謀れたと知る。
そのまま供に倒れ込むように褥に押し付け、秋時の手はためらうことなく涼音の帯に手を掛けた。
「いけないっ!!!止めなさいっ、秋時っ!」
「主(涼様)が是と言うまでも無い。それは己の意思で聞けませぬっ!」
容易く帯を解かれ、単は開けた。
涼音の白く美しい肌が顕わになる。
ゴクリと秋時はその艶めかしさに、息を呑んだ。
同時に辛うじてあったであろう理性は消え失せていた。
四年もの間を溜め込んで、行き場を失った想いの猛りだ。
ぶつけてしまいたい衝動は、到底抑え込めるものでは無かった。
「お慕いしていた。ずっと、ずっと、あなただけを……」
幼い涼音の頭を撫でていた、優しいだけの兄では最早いられなかった。
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