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「私の一姫様……」
泣くのを堪えるような切ない眼差しに、一抹の罪悪感が涼音の胸の内に生れた。いつも穏やかに笑いかけてくれた、優しく頼りとした秋時の温かさは、今でもはっきりと胸に残っている。
──なれど……。
「すまないね、秋時。お前の一姫は死んだのだよ……」
久しぶりに姫装束を纏って浮かれはしたが、口調が『鞍馬小天狗』のそれに改められる。
「えっ……?」
見つめていた涼音の眼が落ち窪み、げっそりとしたこけた頬に変わる。今の今まで美しく珠のように輝く肌であったのに、あばらが浮き出て、女の象徴であるふっくらとした愛らしい膨らみもたちどころに萎えたばかりか、カサコソと身体に這い始めたウジやムカデ。
「っ……!!!」
秋時は怖気が走って、反射的に飛び退いた。
亡者として甦ったかのように、涼音はゆっくりと身を起こす。そして、衿を引き合わせて、露わにされていた肌を隠した。
「帯を……」
秋時が握りしめていたそれを指して、まるで死人のような骨と皮の掌を広げた。秋時はゴクリと生唾を呑み込むも、涼音に帯を渡してくれた。
「……」
逃げ出すでもなく、ただ黙ったまま、身を繕う涼音の姿を凝視していた。
「あれより打つ手が無かったことを詫びねばならない。長くお前を苦しめることになったことも」
再び秋時にまみえた涼音は、損なうところなど何一つない、凛然たる美しさで立っている。
「ほ、本当に……す、涼音様なのですか?」
四年の歳月を経た今、こうして己の前に立つ一姫は、そうだとも、違うとも思えた。『己が護らなくては』と、かつて心に誓いを立てた、ただ愛おしいばかりのか弱い一姫は、これほどに強い眼差しをしていたろうか?
「秋時、卑怯な私を許さなくて良い。私はお前の想いに応えられる器ではないのだよ」
情にほだされて、一夜限りだけと抱かれてやる優しさも無いのだと、涼音は扇を広げて顔を隠した。
――泣くつもりなど無かったというのに……。
涙を隠し、いくら声を押し殺しても、戦慄く身体までは隠し切れるものではなかった。
「いいえ。私がお慕いした一姫様はとうに亡くなった。そういうことでしょう。愚かにも、あなたに重ねて無体を強いました。私の方こそが、許しを請うこともできませぬ」
――やはり、間違うことなくこの方は私の一姫であられる……。
秋時は哀しみを堪えて深く一礼するや、その場を振り返ることなく去っていった。
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