出戻り

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 チリン 夕闇に落とされた小さな鈴の音。 「何を泣いている?」 『泣く涙 雨と降らなむ 久方の 雨より雪の ながれくるかも』 (涙が雨となれば雨ではなく雪になるかもね) ただそれを試したように、何でもないのだと涼音は笑う。 「ふっ、お前ごときの涙一つに天は左右などされぬだろうよ」 「ふふ。さもありなん」  スッとクロネコを腕に抱きかかえる。  チリリン リン  抗うように鳴り響いた鈴の音にこそ顔を顰めたが、クロネコは素直にその温もりを与えてくれた。  ギュッと、一拍だけと決めて、涼音はその毛並みに顔を埋めた。 「……」 何も聞かぬまま、クロネコは尻尾で涼音の頭をあやす。 チリン チリン 日の入りを告げるように、鈴の音が静かな室内に木霊(こだま)する。 「涼音。今は我と共に在る。それを忘れるな」 強く在れる筈。そう諭されて、それを実感する。 「はい。確と」 クロネコを抱きかかえたまま、回廊へ出たその先には(りょう)が佇んでいた。 「秋時は姉さんをずっと、ずっと、深く慕っていたんだよ」 その言葉には、少しの非難が込められている。 「それでもです」 ためらうことの無いはっきりとした拒絶は、上に立つ者のそれだった。 「こそが、慕っていただろう?秋時が嫌いになったのか?」 思わず声音を落すことを忘れて涼は反論した。 「そうではありません。応えることは出来ない。最早私は一姫としては生きられぬ」 悲痛に歪めた姉の顔に、己の失態を(りょう)(さと)った。  違う世界を知ってしまった。男の(りょう)にはきっと分からない。籠の中の鳥でなくなった今、もう二度とこの古巣に戻れはしないのだ。 「涼……責務を降りた私を許してね。もう、願うことでしかあなたに添えられないの」 ギュッとクロネコを抱く腕に力が入る。 「……そうか。なら、私も同じなんだね」 もう願うことしかできない。哀しみでは無い、それは寂しさだった。  姉の為に何かしたいと願い、歩む筈だった姉の幸せを取り戻したいと考えた。けれど、もう姉の望みは別の所に在り、(りょう)の手元には無いのだ。 「ええ。私は心より願っています。あなたに幸多き日々が巡ることを」 「……それは私こそがなんだよ?」 そんなことはとっくに知っていると、涼音は姉の顔をして微笑んでいた。
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