交えた証

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交えた証

 もう幾日も雷鳴が鳴り止まない。  地を動かすような地鳴りに人々は慄き、不安を囁き合う。 『怒り狂っておるな……』 『まさか、あのようなものが産まれるとは困ったことよ』 神々でさえも眉根を寄せる御霊(みたま)は、以来のことかと、皆が連想したのは素戔嗚尊(すさのおのみこと)天地開闢(かいびゃく)の創造神。 『よもや生まれ変わりではなかろうな……』 そんな土地神の呟きに、皆は押し黙って顔を見合わせた。  噂の的とされているのは、鬼神、否、怨霊と呼ばれるものに御霊を堕とした早良親王だった。  高貴な血筋であるにもかかわらず、望まれぬ生だった。  親元からの情は掛けられなくとも、俗世から切り離された寺社で育ったことは、それでも不運とまでは言えない。  神仏を敬い、人道を学ぶ環境は、彼に正しい倫理観を植え付けた。 そして、人を惹きつけて止まないのは血筋故か。  端正な面差しや聡明さは生来のものでもあり、いつしか禅師親王と多くに慕われるようになったのだ。  けれど、会うことの無い兄さえ、実の兄と言うだけで慕う清らかな心根は、功を奏したとは言えないものになった。  「還俗ですか……?」 今更……? それが正直な感想だった。   しかし、拒否権などあるはずがない。 政情の都合に振り回される宿命。 立太子させられたのは、兄の子が帝位に立つまでの間の、中継ぎとしての保険だった。  宮中は高利に長けた古狸の巣窟。 俗世を離れて過ごした身としては生きにくいばかりだった。理不尽を目の当たりにして、説法を解いても伝わらぬばかりか、鼻で嗤われる日々。 「こうも人とは愚かで、浅ましいものであるのか……」 己の心が闇に侵食されていくようだった。 ――それでも、正していけばいつの日にかは……。 きっと国を支える民の為にも繋がると、己を奮い立たせた。 それでいてこそ、『禅師親王』なのだと、慕う者の顔を浮かべては、挑むように前を見ていた。  努力は報われるという言葉を信じた甲斐あってか、徐々に宮中でも話に耳を傾ける者が増えて来たと、ようやく思えた矢先のことだった。 「む、謀反!?わ、私がですか?」 まさに寝耳に水の話だった。 ――そ、そんな莫迦な……? 『南都に傾く思想こそが罪なのだよ』 無実を訴えるも、捕らえた者はそう冷ややかに告げた。 「故郷に想いを馳せることが罪だと言われるのか……!?」 それでは『個』は、何処にあると言うのだろう?  聞けば、長岡京遷都を任されていた藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が暗殺され、南都(平城)に(くみ)する者の仕業として、名が筆頭に上げられたのだと言う。 ――違うな……。 兄上は恐れていたのだ。  『保険』だった筈の者に、己の地位と子の将来に不穏を抱いた。 確かに冗談ごとに次帝として名が挙がることもあったと聞く。  何のことは無い、機に乗じて(しい)する大義としたのだ。 ――もしや、種継とて同じか……? 出過ぎた杭は打たれ、種継暗殺の罪をかぶせることで(まつりごと)に不満を口にしていた者らを一掃した。 「忠臣一人の命と、政敵らの命を秤にかけたのか?」 そう疑わずにはいられなかった。    幽閉の身とされ、久しぶりに与えられた粥を口にする。 『ぷっ!』 吐き出すそれには毒が盛ってある。 微量ながらもそれと分かった。 寺にいるときは薬草を煎じて薬とする技術を学んだこともある身だ。 毒を以って、毒を制する術を知る為にも、舌に慣らした味がよみがえった。 ――勿体ないことを……。 この粥は我だ。 心血注ぎ民のこさえた稲も、毒にしかならぬ。  元より望まれぬ生。 どんなに足掻いたところで、同じ。  あのまま聖人(しょうにん)として生きられたならば、自己満足といえどもこの現世に、ここまで絶望などしなかったであろうに……。 『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』 (散り際を知っていてこそ花も人も美しいのだ)  殊勝な辞世の句に、愚弄する笑みが零れる。 「ふはははっ、散り際?知らぬわ。端から望む者など居らぬ身だからな!!!」  こうも虚しい世ならば一掃するも一興。  気付けば人を呪い、世を呪い、抱え込めぬほどの怒りを宿した鬼と化していた。
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