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純白の浄衣に身を包み、嫡男として人身御供に立った娘は、何かを探すかのように目を彷徨わせていた。
『?』
祈祷師が馬鹿馬鹿しくも護摩を焚きつける最中、娘は儀式的に谷へ流される。さぞや虚ろな眼かと思えば、活きた目を皿のように開けて、やはり何かを必死に探している。
『あれはまだ何かをしようとしているのか?』
気になって、知らぬうちに近寄っていたことに、娘と目が合うまで気付かなかった。そして、気づく。その目に宿す光は、死に向かう者のそれでは無いと。
「会えた……!」
訳が分からぬ。
分からぬままに気づけば手に娘を抱えていた。
致し方が無く、地に下ろす。
「流さないでやってはくれまいか?」
娘の言葉に怒りが湧いた。
我の所為だと決めるか?
そう罵る言葉を逸早く制したのは娘の次の言葉。
そして、畳み掛けられたその言葉に絶句した。
「あなたの所為では無いのは知っている。止める力のある者だということも」
「……我の所為では無いと?」
「そんな風には見受けられない」
露ほどに疑いの無い眼差しに、情けなくも心が震えた。
――この娘、千里眼を宿すものか……。
意識してか知らずにか、人心――御霊に触れてくる。
見抜く目(千里眼)を持つ者だと知る。
そして、この娘が探していたのが、『我』であったことに驚きを隠せない。
驚きはしたが、それでも答えは……やはり否だ。
人を助ける気は無い。
関わる気も。
『残念だったな、人の手は取らぬ。それに、我には助ける義理も無い』
「ふっ、くふふふっ」
娘は口元に手を添え吹き出した。そして、華のように笑ったのだ。
「いいえ。もう既に、取られましたよ」
我の手を、まるで体温を移そうとするかのように包み込む。子供故に無謀なのか、はたまた怖いもの知らずなのか、何もかもを引き裂くような鋭利な爪にも怯まずに、娘は我の手を取ったのだ。
ギョッとして、思わず娘から手を引き抜いた。
「そんなに怯えなくとも取って喰らいは致しませぬ」
意味が分からず、阿呆なのか?とさえ考えた。
「鬼神殿、私はあなたを恐ろしい者だと思わない。あなたは私が怖いのですか?」
莫迦なのか?と、眉根を寄せれば、娘は手を差し出してきた。
「ならば証を」
娘から笑みは消えていた。
代わりに真摯な、まるでこちらを射抜くような眼差しを向けてくる。
差し出された手は、まるで喉元に突きつけられた剣に思えた。
不覚にも、動けずにいた。
「もう(命は)充分流れました。これ以上流れるは、神も不本意なのでは?」
人の生き死になど、神は知る由もない。
「崇める者も、供える者も、感謝する者さえ死すれば、神こそ死ぬぞっ!!!」
神をも畏れぬばかりか、脅してくるとは天晴と言う他ない。
知らず笑みが零れた。
『くっくく。ははははっ。面白い。興に乗ってやるぞ、小娘』
娘の手を取って証としてやれば、途端にその眼に水が溜まった。
ギョッとして、再び手を引き抜こうとしたが、娘が逃がさんとする為か、あろうことか我の懐に飛び込んできた。
うっ……ゔぅ……。
声を押し殺し、我に縋りついて娘は泣いた。
そんな娘に怒るよりも、呆れるよりも……惚けた。
愛おしい。
おそらく、それは初めて覚えた感情だったろう。
間違っても女を慕うようなそれでは無い。
初めて尊いものを手にしたような心地に酔ったのだ。
――一度も泣かなかった娘が、ようやくにして泣いたのが我の懐とはな……。
天を走る稲妻も、鳴りやまなかった雷鳴も、いつの間にか終わりを告げていた。
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