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「それが出始めたのは月の変わる前に遡ります……」
住職の話によれば、教坊の裏手の林には雲珠桜の咲き乱れている様が見られるのだという。雲珠桜とは、杉や松、桧などの木々と交じり合って薄紅色が挿し色する様が、雲珠模様のようだと名付けられた里桜の別称だ。
長閑な鶯の鳴く昼下がり、涼音はそのうちの一本の古木の前に立っていた。
「立派ですね……」
樹皮の年季に反して、咲き誇るそれは何ら色を失ってはいない。この桜の付近に化け猫は現れるのだという。
『え……夢に?』
この古木の桜の下で二又の尻尾の猫が、敵意を剥き出しに襲い掛かる悪夢を夜毎見るのだと言う。それも皆が皆、同じ夢。
あくまでも、夢の中でのことだ。
「たかが夢と、侮れるものではありません。夜毎悪夢にうなされ、この一坊の者らはすっかり不眠になり、気を病む者も出ております」
夢に現れた桜を見つけ出し、その下で経文を上げてもまるで意味を為さなかった。他に打つ手がなく、困り果てていた処へ『鞍馬小天狗』に出会えたことが、御仏の導きに違いないと縋りついた。
――この桜に何か縁のある者なのだろうか……?
パキッ バキッ
踏み折る小枝の音は、榮角とその配下らのものだった。僧衣の上には萌黄縅の腹巻に鎧を重ね着て、長巻と呼ばれる大太刀を手にした勇壮たる姿。その物々しさに眉を顰めた。
「戦は人の為す災い。人ならざる者相手に不要では?」
これでは聞く耳持たずして、化け猫が現れれば薙ぎ払ってしまいそうだ。
「誰が相手であろうとこれが俺のやり方だ」
「左様で……」
「さて、小天狗。化け猫を呼び出せ。俺が薙ぎ払ってやる」
脅すように長巻の刃先を涼に向けて構えた。陽の光を照り返して白く光る鋭利な刃は、涼音のか細い首など一瞬にして跳ね飛ばしてしまいそうだ。
「何と物騒な……」
幾日も安眠を妨げられ続け、榮角らの血走った眼は苛立ちに満ちていた。それは殺意と言っても過言ではない。
『ゔにゃ~!!!』
涼音が榮角に口を開くよりも早く、何処からともなくそれは現れた。猫の尻尾は二又だ。
「い、いけないっ!!!」
涼音の制止の声など互いに届かない。
榮角は待ってましたとばかりに長巻を猫に翻し、猫は牙を剥いて榮角に向かって飛び掛かった。
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