喰待月

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 ええ、そりゃ本当なら食べたかったですよ。絹のような髪、飴細工のような眼球、桜色の頬肉を、掴んで引き裂いて、バリバリとね。  しかしそれはできないってのは、いいえ最初は情が湧いたとかではなくてね。  なぜなら毒でございますから、あの娘は、あたしら人喰いのバケモノにとって。あの娘は肉も、そして心も神様に祝福されていた、いわゆる聖者と言われる存在でした。  そんな者の血を一滴でも、汚れたこの身体に取り込めばたちまちあたしは灰になってしまう。  とはいえ諦めきれなくて、うじうじと悩んでいる合間にも時間は刻々と過ぎていく。あたしはどうすればいいんだって頭がおかしくなりそうでした。  聖者だからでしょうか、娘は奇妙な子でした。読心術って言うんですよね、人の心が読めるらしくて。いえ、その能力も奇妙ですが、もっと変わっていたのはその性格でした。だって、あたしが近づいた本意も丸々わかっていて、それでも仲良くしようと言い出すんですよ。  これは都合がいいと、当時のあたしは俗世の悪いことを教えたり、夜に僧院からこっそり外に連れ出しなどしました。そうすればいつか聖者でなくなり、食べられるようになると思ってね。  結果は、いいえ、ダメでした。彼女はころころと笑いながら、その心は日向に咲く花のように清らかなままでした。  周囲が騒ぎはじめたのは、あたしがあの娘と知り合って一年も経った頃でしょうか。あたしも気づいておりました、彼女の問診の時間が増えたこと、息切れしやすくなったこと、布団に伏せがちになったこと。  ありがちなことだそうです。俗世の悩みや悪意に絶え間なく当てられて、聖者の命の蝋燭は常人より早く燃え尽きるのだと。そのことを寝たきりになった彼女は、それでも朗らかに笑って告げました。早くしないと、肉の味が落ちるかもよ、と冗談まで言って。  食人鬼というバケモノは、人を食らう時に、その肉と共に魂を食らうのです。相手の感情や見た景色を。だから、綺麗すぎる心を喰らうと灰になる、太陽で燃え尽きるように。  あたしは、彼女の見ている世界を食べたいと、その頃には強く思っていました。味とかもう、正直どうでもようなっていました。 そしていよいよ彼女の臨終の間際、あたしは決めたんですよ。  どうしたかって。  食べませんでしたよ、勿論。じゃなければお客さん、あたしは今ここにこうしていない。  確かにその時は灰になってもいいから食べたい、一瞬でも彼女の見ている世界を見てみたいと思ってましたがね。止められたのですよう、彼女に。  私が見ている世界が欲しかったら、生きて素敵なものをたくさん見つけなさい、とね。  鳥や、空や、まん丸な月、そして貴女自身のような優しい人を、って。  最期までおかしなあの子は、そう言って旅立っていったんです。やわこかったその手が段々と冷たくなっていって。ああ、いってしまったのだと感じました。  もう百年も前のことです、なのに今でもあたしはその言いつけを守って、人食わずの食人鬼であり続けているんです。  辛いかって、そりゃあ辛いですよ。腕を上げ下げするのも億劫なくらいに力が入らなくて。でも最近はだいぶ慣れてきました。  最近思うんですよう。もしかしたらあの子は聖者なんかじゃなく、実は食人鬼より恐ろしい、とんでもない悪人だったのかもとね。  こうして鬼の心を奪って、食べてしまったのだから、なんて。
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