都橋探偵事情『喇叭』

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 横浜西口から東口に繋がるガードは幅三メーターで高さが二メーター、長さは四十メーター程である。東口出口の近くにはいつも傷痍軍人がアコーディオンを弾いている。名前を丸山隆と言い、ルソン島で右足を失い終戦前に故郷の横浜に戻って来た。障害年金を受給しているがこの演奏の方が実入りがいい。東西を最短距離で結ぶガードだから通行人も多い。電気はなく両口から差し込む光だけが視界を保つ。女子供は昼間でも危険である。丸山がいることで安心して通行出来る。その通行手形が海苔の空き缶に入れられる。多い時は日に二千円が集まる。サラリーマンの月給が三万円程度の時代であるからその額の大きさが分かる。あまり入り過ぎているとうまくない。隙を見て首から下げた黒鞄に入れ替える。投げ銭する方より貰う方が贅沢な暮らしをしている。朝と夕の通勤時間と学校の登下校時間にガードの監視人役的存在でもある。その報酬であると本人も自負している。丸山がいるときにガード内で事件が起きると確実な目撃証言が取れる。警察からも頼りにされている。一度丸山本人が物取りに脅されたことがある。匕首で脅された。松葉杖の先端が仕込みの槍になっていて応戦した。足がなくとも元軍人は殺しのプロである。物取りは腹を一突きされて退散し西口駅前で倒れているのを交番の巡査に保護され逮捕された。仕込み杖が表沙汰にされなかったのは護身用として必要だろうと警察も目を瞑ったからである。当時の警察官は軍人上がりが多く、気持ちが相通じるところが多い。 「いつも子供達が安心して通れます。ありがとうございます」  付き添いの母親が一礼する。登校の子供達が母親から預かった通行手形を投げ入れる。 「はい、みんな気を付けてね。行ってらっしゃい」  アコーディオンで動揺を流す。子供達は喜んで手を振る。九時になると一旦桜木町のアパートに引き上げる。そして子供達が下校する前に又戻り監視役を務める。
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