都橋探偵事情『喇叭』

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 どぶ川の名は大岡川、都橋交番の横から鉄骨階段を上がると川にせり出した円形の廊下を歩くとどぶの悪臭がもろに鼻を刺す。公社の女が「ここです」と鍵を開ける。都橋のすぐ下流は海で、埋め立てが急ピッチで進められている。首都高速道路の延長工事で重機の排気音が鼓膜を震わす。昭和四十年、去年新築したこのビルは都橋商店街ビル、横浜市が辺りの露天をこのビルに収容させようと建築した。店の六十店舗のほとんどが飲み屋で数店の雑貨屋が入居している。  中に入る、今まで借りていたバー『明美』が都合で一年で出て行った。その後に借りたのは徳田英二二十五歳、身長百六十七センチ、体重五十四キロ、長髪で真ん中分け、端正なマスクだが口利きは生意気である。キリシタン、山手の教会で洗礼も受けた。しかし好きで信教としたのではない。両親を横浜大空襲で失い家は焼け土地は朝鮮人家族に取られて戦争孤児になった。横浜博覧会の開催が決まり外国人観光客の手前みっともないと浮浪児狩りが行われた。徳田も山手の教会が運営していた孤児院に入れられ教会の手伝いをしながら高校まで卒業した。警官を目指したが規律が馬鹿らしくて花咲町の興信所で人捜しを手伝っていた。そこの主人の体調が思わしくなく事務所を閉めるのを契機に独立した。  薄紫の風呂敷に包んだ細長い板看板を取り出した。どぶの腐臭を我慢しながら看板の位置を探る。釘止めするいい相手がない。取り合えず玄関ドアの横に斜めに立て掛けた。どぶ川を犬の死骸が流れている。腹が膨らんで浮き輪のように見える。突っつけば破裂しそうだ。和服の女が廊下を歩いて徳田の事務所前で立ち止まる。徳田の顔をちらと見る。 「都橋興信所?あんた探偵?」  徳田は頷いた。 「愛想悪いねあんた、客来ないよそれじゃ。商売教えてやるからうちに飲みにおいで、都橋から階段上がって二軒目、バー『小百合』あたしの名前」  笑っていた。昭和四十年四月五日、都橋興信所初日である。  自宅は野毛の公営団地、五階階建ての五階。一緒に暮らしてはいないが女はいる。根岸の画廊の娘で中村道子、徳田よりひとつ年下である。
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