都橋探偵事情『喇叭』

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 ハゲで七三分けの主人は眼鏡の上から女を見下げ、作業ジャンパーの内ポケットから千円札一枚を渡した。女は捥ぎ取るように受け取ってドアを蹴飛ばして閉めた。 「まったくもう、下の娘で十九です、どうです、あれでなかなか料理は上手ですよ」 「ありがとうございます。いいお嬢さんじゃないですか、俺みたいな不良じゃ失礼ですよ。いずれ王子様が現れて攫って行かれますよ」 「うまいこと言って逃げるね、あんたも若いけど相当揉まれているね。終戦はどこで?」 「五歳の時でこの辺りを野良犬みたいに逃げ回ってました」 「そうかい、ひでえ戦争だった。民間人まで焼かなくたってよさそうなもんを、ま、あいつ等にはあいつ等の恨み辛みがあったんだろうけどよ」 「さっきの娘さんはこちらで」 「ああ、私がフィリピンから引き揚げて来て、元々料理人だったけど屋台出してさ、進駐軍と伝手があってね、缶詰仕入れて雑炊売してたんだけど愚連隊にはみかじめ取られるし、ガキ共には隙見てかっぱわれるし、商売にならねえ。それでさ、未亡人の多いことに気付いたんだな。戦争未亡人てやつだ。仕事なんかありゃしねえ、女に出来ることは春を売るぐらいだ、その中間ブローカーってやつさ。ちっぽけなバラックで始めたんだけ結構儲かってさ。悪いことしてると分かっていても辞められなかった。女達も子供に腹一杯食わしてやるには我慢だって、頑張っていたよ。金残して辞めた女もたくさんいた。たまに訪ねて来るよ。目が窪んで骸骨見てえだったのが丸くなってね。私はこう言うんだ、こんなとこに来ちゃいけないよ、あれは夢だと思って忘れてしまうことだってね」  相談所の主人岡林は窓を開け、どぶを見ながら言った。
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