先ずは執拗ないじめの話からじゃ。

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先ずは執拗ないじめの話からじゃ。

序章・いじめ。  「醜形恐怖」この言葉が亮介に重くのしかかってくる。  「俺は醜いんだ。俺は醜いんだ。誰もが俺の前を通り過ぎる時に本当に嫌なものを見たかのように言うんだ。蛇でも見たかのように言うんだ。『あの人の顔を見て?きもい』そう言われた俺はそいつの顔を睨む。すると心を読まれたことがわかったそいつはそそくさと立ち去っていく。」  そんな強迫観念に取り憑かれた亮介は顔を隠すためにいつもマスクをかけていた。  「誰かに顔を見られたらこの世は終わるのだ。自分の人生も終わるのだ」  そして中学に入った頃からこのマスク男に対する執拗な「いじめ」が始まった。  いじめの先頭に立ったのは俗に言う「ワル」ではない。どこの学校にもいる至極普通の生徒であった。また、「まさか」と思うかも知れないが、彼と一緒になって亮介をいじめたのは、このクラスの担任教師であった。  今になって亮介は、この生徒のことは何とも思ってないが、この担任教師のことは一生忘れないであろう。   亮介にはこの教師がなぜ自分をいじめるのか分からなかった。しかし、 「教師なんていうのは大体そうなのではなかろうか」と亮介は思っていた。  常に居丈高で尊大で威張っていて、自我が異様に肥大化した教師というのはどこにでもいる。威張り散らすことによって自己のアイデンティティーを保っているのだ。この担任教師、栗田久喜次はそんな教師の典型だったのかも知れない。   しかし当時の亮介にとって、教師とは「偉い大人」であった。だから、亮介はこの栗田に逆らう術は知らなかった。  「教師の言うことは絶対」だと思い込んでいたのである。  当時は学級崩壊もなければ校内暴力などと言う言葉すら存在していなかった。だから教師は威張っていて当然なのである。時代は「昭和」であった。彼の父親の洋三も学生運動をやったことがあった。すなわち、大人や社会には反抗したことがあったが、亮介が産まれる頃には「常識人」に成り下がっていた。だから、やはり教師は「偉い人」だと思い込んでいたのだ。  そんな亮介が当時最も興味を持っていたものは音楽であった。  幼少時より始めたピアノはピアノの先生も驚くような上達ぶりで、ピアノを習い始めてからわずか三カ月でベートーベンの「悲愴ソナタ」の全楽章を弾いて、ピアノの先生を驚かせていた。この音楽に対する天才ぶりが発揮された理由は、大人になってから判明するが、実際彼はアインシュタインやエジソンと同じような資質を備えていたのだ。しかし、それが分からない大人達が彼の人生を踏みにじり、彼を「ただの引きこもり」に変えてしまったのだ。           *  亮介が中学に入学して二、三カ月経った頃であろうか?  町の子であった山形幸弘という生徒と仲良くなった。仲良くなったのはただ席が近かったからというだけの理由からである。     この中学には所謂町の子と田舎の子がいて、町の子は田舎の子に比べて何もかもがスマートで、亮介のような田舎の子は完全に見劣りしていた。町の子である山形は長い髪を真ん中で分け、目鼻立ちが整っていた。所謂「イケメン」だった。それに引き換え、亮介は小柄で髪の毛もいつも丸刈り、カッターシャツの襟もいつも汚れていた。   そして、この山形が亮介にちょっかいをかけはじめたのである。  最初は、それはどこにでもある光景であった。  マスクをかけて無口な亮介をからかったり、授業中に手でこずいたりするだけであった。しかし、亮介が何も言わなかったので、「からかい」はエスカレートしていった。  「いつも言いがかりばかりつけてよ。この言いがかり屋。そのマスクは一体何?カッコつけてるの?いつも風邪を引いてるの?」などと言ってこずいたりボールペンで顔を傷つけたりし始めた。  そんな頃、亮介には密かに心を寄せている女の子がいた。小学校からの同級生で、名は田端由紀子という女の子であった。そしてあろうことか、それを山形に打ち明けてしまったのである。山形は水を得た魚のように騒ぎ始めた。  山形は、調子に乗って「あのなあ、村沢君の好きな子はなあ---」と言いかけてやめたりした。  今日も山形が騒ぎ始める。  「みんな聞いて。亮介君の好きな子はなあ---」  「おい、やめてくれよ」  「ええやないか。あのなあ、亮介君の好きな子はなあ---」  これが一回や二回ならまだ我慢できた。しかし何度にもわたってそういうことが行われたのだからたまったものではない。亮介は「切れ」かかっていたが、何とかこらえた。そして六月になってもそれは続いた。  「あのなあ、亮介君の好きな子はなあ---」  「お前、ええ加減にせえよ!」  半狂乱になった亮介は山形の長い髪の毛を掴んで彼のおでこを何度も机にたたきつけた。教室にいた同級生の半分は避難し、半分は面白がってまくし立てた。  「おい、喧嘩や、喧嘩や、もっとやれ」  しかし女子生徒は違った。この二人の喧嘩を見ていて亮介のことを乱暴者と思って担任教師に報告したのである。そりゃ、山形は手を出してないんだから亮介を「乱暴者」と思っても不思議ではない。しかし亮介は元来暴力なんかに訴える人間ではなかった。幼少期は野球もサッカーもせずに女の子とお人形さん遊びやおままごとをしていたような男である。山形のおでこを机にいくら叩きつけても痛くはなかったのであろう。山形は無言でされるままになっていた。  そして担任教師の呼び出しがかかった。普通は喧嘩両成敗なのに、亮介だけが生徒指導室に呼ばれた。全く以て不条理である。  「お前は何で山形に暴力を振るった?」担任の栗田は腕組みをしながら目下の者を睨みつけるように言った。当時の亮介には栗田に逆らう術は知らなかったし、また逆らう気概もなかった。亮介は半泣きになって言われることを聞いていた。  「何で暴力を振るったんや?言うてみい」  「山形君が僕の好きな子をみんなにばらそうとしたから」  「そんなことが暴力を振るう理由になると思っているのか?」  「---」  「ええか。暴力振るったら負けや。山形に謝ってこい」  「嫌です」  「何でや。反省の色がないなあ」  「何で僕だけ反省せなあかんの?」  「それはお前が暴力を振るったからって言ってるやないか?」  「先に怒らせたのは山形君です」  「それなら山形を連れてくるから待っとけ」  それから暫く経ってから山形が指導室に入ってきた。何か鼻で息を大きくしながら「僕は怒っています。被害者です」とでも言いたそうな表情をしていた。二人は暫くにらみ合ったままであったが、こんなことをしていてもらちがあかない。仕方なく亮介は「御免」と言った。栗田は何も言わなかった。こうして事が済んだと思ったのであろう。しかし亮介は納得がいかなかった。先に挑発をしてきたのは向こうの方だったからである。  そして、これが契機となってクラスでの亮介に対するいじめが始まった。そして担任の栗田はそのいじめに加担した。---というよりは栗田が率先して亮介をいじめるように仕掛けたと言っても過言ではない。  今のいじめの原型は、東京の富士見中学での「葬式ごっこ」事件である。担任教師が生徒との「連帯」のために「葬式ごっこ」に加わって世間の非難を浴びたのである。事実、当時の教師達にとって誰が誰をいじめているなんて関係がなかった。何よりも「クラスの連帯」が重視されたのだ。そのためにいじめでも何でも行った。あたかもそれが正しい教育であるかのような風潮が醸成されていたのだ。亮介が大人になってからスマップの「世界で一つだけの花」なんて歌がヒットするが、当時の教育は「個を大事にする」ではなくて「集団の規律を破る奴は無視せよ」なのであった。  こうして先生のお墨付きが出来上がったので、クラスでは亮介に対していじめ放題という風潮が出来上がった。いじめられた亮介は、腕力があるわけではなかったので泣くか半狂乱になって物に当たり散らして益々クラスで孤立することになった。             ある日のことである。亮介が登校して下駄箱を開けるとゴミが詰まっていた。そのゴミが下駄箱を開けると溢れ出てきた。ゴミをどけると上履きがなかった。仕方なく亮介は上履きを履かずに教室へ入った。すると黒板をいっぱいに使って落書きがしてあった。  「暴力男、村沢亮介、消えろ!死ね!」  亮介は黒板消しを使って一生懸命落書きを消した。そして机へ戻ると、そこにも落書きがあった。  「村沢亮介キモい」  その落書きを消そうとしていると栗田が入ってきた。  「何してるんや?」  「僕の机に落書きが---」  「そうか。自業自得やな」栗田はそう言って教卓に戻り、授業を始めた。亮介は頭が真っ白になって、半泣きになりながら机をバンバンと叩き始めた。  「(どうして誰も分かってくれないんや?俺はいじめられているのだ。いじめられているのに---)」  しかし勿論栗田は黙っていない。  「村沢、みんなに迷惑かけるんやったら教室から出て行け!」  ここで亮介は教室から出たらよかったものを、そのまま椅子に座り直して授業を受けた。    そして放課後、亮介はなぜか野球部の東田と陸上部の中尾に呼び出された。  「おい、お前、ちょっと体育館の裏まで来い」                         東田も中尾も「町の子」である。しかも運動部に所属しているためか体格もいい。仕方なく亮介は体育館の裏までのこのこと出かけたのだ。そこには東田と中尾と、なぜか山形までもが待っていた。この二人は山形の友人だったのだ。東田が口を開いた。  「お前生意気やから今からしばくからな。一人前にピアノなんか弾きやがって」  そう言って亮介の腹を蹴った。亮介は腹を押さえてうずくまった。内蔵の痛さとともになぜか悲しみがこみ上げてきた。  「(どうして僕がこんな目に遭わされるの?)」  亮介がうずくまると今度は中尾が亮介の頬を殴った。亮介は頬を押さえた。おもむろに山形が言った。  「見てみ。暴力振るわれたらどんな気持ち?」  亮介は腹を押さえたまま倒れ込んだ。そこへ三人が蹴りを入れる。  「やめてよー。わかったよー」  「何がわかったんじゃ?こんなもんですめへんぞ」そう言って今度はズボンを脱がしにかかった。下半身がパンツ一枚になった亮介は大声で叫んだ。  「助けてーー」  三人はなおも腹を蹴り続けた。亮介には動物的勘が働いて死んだ真似をした.。  「おい、殺してしもたんとちゃうか?」  「よし、逃げ!」三人は逃げて行った。    翌日の昼休み。亮介は今度はトイレに呼び出された。呼び出したのは同じ三人であった。そして亮介を無理矢理大便器の中へ押し込んだ。戸を開けようとしたが、誰かが大変な力でひっぱていて微動だにしない。そして、しばらくの静寂の後に上からホースが降りてきた。  「いなかもん、臭いんじゃ。これで洗ろうたる」  放水が始まった。ホースが蛇のようにくねりくねり蛇行しながら勢いよく水を吐き出した。びしょ濡れになった。  「やめてよー。やめてよー」  大便器の外で笑い声がした。三人ではない。十人くらいはいそうである。この状況を楽しんでいる所謂「傍観者」だ。  放水は十分間くらい続いた。亮介が半泣きになって外へ出ると誰もいなかった。亮介は給食を食べるために教室へ戻った。  この学校では給食は班で食べることになっており、四人が顔を突き合わせることになっていた。しかし亮介の机だけが班の四人の机から離されていた。だから一人で給食を食べなければならなかった。  それを亮介はこう解釈していた。  「給食を食べる時にはマスクを外さなければならない。そうするとみんな俺の醜い顔を見るから嫌になるんだ。ああ、俺は醜いんだ。俺は醜いんだ」  その後、亮介は何度か三人の「町の子」によってトイレや体育館の裏に呼び出され、いじめられた。また、給食時には班の者から机を離されて食べなければならなかった。給食は担任教師も一緒になって食べるが、完全に無視されていた。担任教師の差し金で亮介の自業自得ということになっていた。  こんな状態になっても亮介は学校へ出かけ、部活動もやっていた。部活動は吹奏楽部で、トランペットをやり、できもしないのにいつもみんなから馬鹿にされてながら綺麗な音がでるまで練習した。  そんな折、部活動でも事件が起こった。それは三人の同級生の女子がホルンをやっていたのだが、その中で溝口という美人がいた。亮介達と同じクラスであった。  亮介が机に向かってぼんやりとしていると山形が突然言った。  「お前、溝口の方ばっかり向いて、好きなんやろ」  「いや、別に」  「言ってやろ、言ってやろ。おい、溝口」  「やめてくれよ」  「亮介君がお前のこと好きなんやて」  溝口の顔が曇った。相手はクラスの嫌われ者である。そんな男から好かれても嬉しいわけがない。溝口は青筋を立てて怒りだした。山形に向かってではない。亮介に向かって怒りの刃を向けてきた。  「私、あんたのことなんか大嫌い!」そう言って思いっきり顔をしかめ、亮介の頭を平手で叩いた。亮介は泣き出した。  「わー。振られたから言うて泣いてやがる。こいつ本当に最低やなあ」  それから溝口は亮介を見るたびにしかめっ面をして友人を誘ってこそこそと逃げるようになった。  *  元々亮介がクラスでシカトされ、いじめを受けるはっきりとした原因をクラスの者全員が理解し、その意義を共有していたわけではなかった。山形に暴力は振るったが、それは既に終わったことだとクラスの全員が認識していた。亮介はマスクをかけていた上に、首一面にでき物ができていたのであった。そしてこれも嫌われる原因の一つであった。そのでき物は子供の頃は小さかったが、思春期になると女の子が逃げていくほどに成長していた。みんなから「うつる」と思われていたのだ。  また、亮介には整理整頓という概念が欠落していた。机の中はもらったプリント類が散乱し、食べ残しのパンまで詰められていた。それをある日、クラスの誰かが発見して給食の時に騒いだのだ。亮介は一緒に給食を食べてはくれない班員に言ったことがある。  「何で給食の時に机離すの?」すると班の一人の男の子が言った。  「お前、汚いからじゃ」  「僕のどこが汚いの?」班員の別の女子が話に割り込んだ。  「それなら机の中見せてよ」そう言っていきなり亮介の机を横に向けて机の中からあえるものを全て取り出しにかかった。給食の残りのパンやプリント類が山のように出てきた。 「おい、これ何じゃ?このゴミ男が」  「ほんま、汚な」クラスの全員の大合唱が起こった。  「ゴミ男、ゴミ男」  実はゴミを捨てることができないというのは亮介の「障害」だったのだ。しかし、それがわかるのは彼が大人になってからだった。  しかし、ある日、溝口の態度があんまりだというクラスメイトが現れた。地獄に仏というのはこのことか?  放課後の反省会である男が言った。クラス役員をやっている男だ。  「最近の溝口さんの亮介君に対する態度は酷いと思います」  「そうや。溝口、なんであんな冷たい態度とるのん?」男子生徒の一人が言った。  「彼のでき物のせいとちゃうか?」  「それやったらあかんで。可哀想や」  「そうや、そうや、溝口謝れ」  そこへ栗田がなぜか口を挟んだ。  「こいつは山形に暴力を振るってきた奴や。そんなのんは当たり前ちゃうか?」  「そう言われたらそうやなあ」  「そうやそうや当たり前や」  こうしてせっかくのクラスとの和解のチャンスを担任教師が無茶苦茶にしてしまった。溝口の方は同じ吹奏楽部であったので、部活動の時に謝ったが、亮介はこの担任の態度に納得がいかなかった。                              *  ある日のことである。  栗田が嬉々として教室に入ってきた。手には一冊のノートが握られている。そのノートを見せて言った。  「思うことを何でも書いて下さい。一の一目安箱と名付けます」  と言って黒板の横に釘を打ちつけ、ノートにパンチで穴を開け、それを黒板の横に掛けて出て行った。  亮介は早速「目安箱」を取り、そこに書きこんだ。  「何故僕だけ仲間はずれにされるのでしょうか?喧嘩が原因ならばどうして山形君は何も言われないのでしょうか?僕の顔が醜いからなんでしょうか?それなら明らかに差別です」    放課後のショートホームルームに栗田が入ってきた。そして「目安箱」を開いた。中に亮介の書いた文を見つけると、それを見た栗山は烈火のごとく怒りだした。  「これ、村沢が書いたんか?お前、暴力使ってからも何も反省してないのか?『なぜ僕だけが非難されるのですか』やと?『差別です』やと?なあ、みんな」  「そうや、そうや、村沢、山形に謝れ」  「先生が何を書いてもいいと言ったやないですか?」  「お前は屑やからこんな所に書く権利なんかないんや」  「そうや、そうや、おい、山形も何か言うたれや」  すると山形が教卓まで進み出て、そのノートを持ってきて亮介の机に叩きつけた。  クラスの全員が拍手をする。  何も抗議をする術を知らなかった亮介は、突然山形の机まで小走りに駆けて行き、山形の長い髪の毛を掴んで机に何回も叩きつけた。  「おーい、村沢がまた暴力振るってるぞ!」  クラスの皆が廊下に避難した。  栗田の呼び出しである。  「暴力使ったら負けや言うて前にも言ったやろ。山形とクラスのみんなに謝ってこい」  「(大体、暴力を使ったら負けなんて言うのは大人の論理じゃないか。それに、口では言えないから手が出てしまう子供と言うのはどこにでもいるのじゃないのか)」そうは思ったものの、そんなことは亮介には言えなかった。    栗田の執拗ないじめが始まった。  「なんで謝らんのや?自分が悪いことしたと思ってないのか?」  「思ってない。先生が何書いてもいいと言った」  「お前、誰に向かって口聞いてんのや。言いなおせ」  「先生が何書いてもいいと言いました」  「それなら書かれた山形の気持ちになってみい。今から山形を呼んでくるからはっきりさせよやないか」  山形が指導室に入ってきた。また息を荒くしていかにも「僕は被害者です」と言いたげな態度であった。  孤立してしまったいる亮介には謝るより他に手はなかった。謝るなんてしたくなかったのだが、他に選択肢がなかったのだ。  そして、こういうことが数度繰り返された。  勿論、ノートは亮介が破ってクシャクシャにし、ゴミ箱へ捨てた。  ただ、亮介の幼年時代をよく知っている小学校の同級生だけは違った。亮介は元々暴力なんか振るうような人間ではないことは幼馴染みならよく知っていた。だから事あるごとに亮介をかばってくれたのだが、同じクラスになった者だけは自分に火の粉がかからないように傍観者の立場をとっていた。  そして、もう一人の敵が現れた。誰あろう、亮介の父親の洋三であった。    「お前、山形君という生徒と喧嘩したんか?それも暴力を使ったらしいな」  亮介は何も答えなかった。元々この父は学生時代に学生運動で暴力を使ってきた人間ではなかったのか?なぜいじめられている自分の息子を暴力沙汰の犯人にするのか?しかし、次に洋三から発せられた言葉に亮介は絶句した。  「喧嘩なんかしてる暇があったら勉強しろ。勉強して見返してやれ」    本当ならここで自殺しておくべきであったのだ。  亮介は引きこもりになってから「社会不安障害」という病名をつけられ、何度も自殺を考えた。しかし、よく考えるとこの時に自殺してしまっていたらよかったのだ。そうしたら問題になっていたかも知れない。栗田も考えを変えていたかも知れない。それが悔やまれてしかたがないと亮介は思った。  また、亮介はこの父親からくるプレッシャーにいたたまれなくなっていた。彼の父の洋三は元全共闘の闘志であった。そして学生運動で知り合った母と結婚したらしい。  しかし、その「元全共闘の闘志」は完全なサラリーマンに成り下がっていた。そしてことあるごとに亮介に言う。  「お前の兄は勉強も運動もよくできるのにお前はピアノくらいしか能がないのか?いいか。今から一生懸命勉強していい高校へ行っていい大学へ入って一流企業に就職するんや。喧嘩なんかにうつつをぬかしている暇はお前にはないんやぞ。由香(妹)も塾で頑張っているやないか」  果たしてこれが学生運動で暴れ回っていた男なのだろうか?亮介には不思議でならなかった。                             *  そして夏休みが来た。  宿題の作文に、当然このことを書く。  「お前の書いた作文見せてみろ」  と父親の洋三が言う。  読むなり、洋三の怒号が飛んだ。  「お前、喧嘩のこと書いて何も反省してないんか!」  亮介は泣きたくなった。しかし父親に反抗するということはできなかった。それは亮介にとって「革命」以上に恐ろしいものであった。  そこで亮介は作文をガスコンロで燃やす仕草をした。  「そんなことで驚くと思っていたのか?」    と洋三は言った。  既に家庭にも学校にも亮介の居場所はなかった。  そして夏休み明けから不登校がはじまった。  九月一日だけは宿題を提出するために学校へ行った。  しかし作文のことで栗田から文句を言われた。    「『先生が謝れというから仕方なく謝った』ってどういうことや?」    そして翌日から不登校を決心したのだ。    亮介は、朝学校へ行くふりをし、家を出ると近くの池や川へ行ってぼんやりと空を眺めていた。この川は亮介が小さかった頃に友人とよく遊んだ川であった。その時のことが懐かしく脳裏に蘇る。一体その当時、中学校に入ったらこんなことになるなんて考えたことがあっただろうか?  そして飽きてくると、亮介は家からニーチェやキルケゴールの本を持ちだし、川辺で読むことにした。宗教好きだった彼には実存主義の哲学が針を刺すように心に入ってきたのだ。    そして不登校から三日目に栗田から家に電話がかかってきた。けたたましく電話が鳴ったので母が応対に出た。栗田が電話口の向こうから告げる。  「亮介君が来てないんですけど」  「いえ、朝早く家を出ましたよ」  「じゃあ、担任の先生が心配していたと伝えて下さい」    川から家へ帰って来ると、母親が言った。  「亮介、きちんと学校行ってるの?担任の先生が学校へ来てないって電話があったけど。何か『心配しているので来て下さい』と言っていたわよ」  「(何が『心配していた』や。厄介者がいなくなったので喜んでいる癖に)うるさいわ!何で学校なんか行かなあかんのや?」  今まで反抗なんかしたことのなかった亮介である。さすがに母親は驚いた。  「それ何ていう口聞いてんの?」  「悪いんかい?わしなんか産みやがって。俺をこんな顔に産んだんはお前じゃ。そのことで俺がどんな思いをしてると思ってるんや!」    このことは当然父親の耳に入ったが、もうその時には亮介はいなかった。家出してしまっていたのだ。                            *  家を出た亮介は近くの道路に4トントラックが止めてあったのを見つけた。運転手はいない。そして荷台には容易に侵入できた。荷台に侵入した亮介は、「このままトラックが北海道まででも行ってくれたらなあ」と思った。やがて亮介に気づかないまま運転手はトラックを発進させた。荷台だから揺れて気分が悪くなりそうだったが、亮介は我慢した。やがてトラックは知らない町で止まった。  驚いたのはトラックの運転手である。荷を調べようとして荷台を開けたらそこに見たこともないマスクをかけた少年が座っていたのだから当然である。  「何や。坊主。君は一体誰や?何でこんな所に乗ってる?」  「僕家出しました。ここはどこですか?」  「名古屋や。それにしても家出なんて尋常やないで。まあ、話聞こうやないか」    こうして、この運転手、亮介の今までに起こったことをじっくりと聴いてくれた。  「なんだ、いじめられっ子か。よし、いいことを教えてやる。ええか、坊主。先ずは給食の盆を持って校長室の前へ行くんや。そこで昼飯を食え。それから校長先生に何か言われたら『僕は最初は自殺しようと思いました。そして遺書にいじめた奴の名前も書こうと思いました。でも考えを変えて病院へ行って鬱病の診断をしてもらって、それを内容証明郵便で教育委員会へ送ります』と言って脅しをかけるんや。ええか、負けたらあかんぞ」  そして夕食に味噌カツを御馳走になった上に、亮介に帰りの電車賃を握らせて名古屋駅まで送ってもらった。  「これぐらいあったら足りるやろ。まだ最終の新幹線には間に合う。ええか。学校へ行ったら言われた通りに言うんやぞ」    そうして亮介は帰ってきた。勿論、父親には散々叱られたが、いいことを聞いたものだと思った。    九月二十日になって亮介は登校した。   「わー、きもいのが来た」  同級生の第一声であった。もうこんなことを言われるのは慣れっこになっている。だから亮介は平気であった。また、あのトラックの運転手の言ったことを実行するつもりでいたのだ。  山形も言った。  「気の弱い奴やなあ、来なくてもいいのに」    その日の英語の時間(栗田の授業)、亮介はいつものように椅子で遊んで何度かわざとひっくり返った。授業妨害を始めたのである。  「お前、どれだけ迷惑かけたら気いすむんや?」  栗田が言った。  暫らくすると亮介の口笛が聞こえてきた。  亮介にはしょっちゅう楽譜が浮かんできて、これをやっていて一学期の間中栗田に注意されていたのだ。  「お前、何のつもりや?」  栗田はどかどかと亮介の机まで降りてきて殴りかかろうとした。  「あれ?暴力使ったら負けや言うたん誰やったかなあ?」  亮介は平然と言い放った。  亮介はこうして英語の時間を無茶苦茶にした。  そしていよいよ給食の時間になった。  給食係が一斉に配膳をする。配膳が終わると、いつものように亮介の班の皆が亮介の机を離れる。  すると、亮介は給食のトレイを持ったまま教室を後にした。  校長室の前で、一人給食を食べる亮介。  最初の日は何人かの教師が訝しげに亮介を見ただけで通り過ぎて行った。翌日も亮介は校長室の前で給食を食べる。当然、校長先生が出てきた。この校長は決して威張らず、教師や生徒達からも信任の厚い校長であった。  「君は確か一年一組の村沢君やったね。何でこんな所で給食を食べているのですか?」  「教室では食べさせてもらえないのでここで食べているだけです」  「まあ中へ入りなさい。」  亮介は校長室へ入った。校長先生も給食を食べていた。それは亮介にとっては新鮮な驚きであった。校長先生という人はみんなと違ってもっと美味しいものを食べていると思っていたからである。  「校長先生も給食を食べるのですか?」  「そうだよ。先生も皆さんと同じものを食べているのですよ。ところで、『教室で食べさせてもらえない』と言うのはどういうことですか?」  「僕が食べようとすると皆が机を離して『汚いからあっちへ行け』と言うんです。」  「担任の先生は何も言わないんですか?」  「自業自得だと言ってました。」  「え?それは酷い。担任の栗田先生も君をいじめるのですね。本当だとしたらこれは問題やなあ。で、村沢君はどうするつもりですか?」  「はい。最初は自殺しようと思いました。でも、考えを変えて心療内科へ行って鬱病の診断をしてもらうことにしました。そして、診断書とともにこの事実を手紙に書いて内容証明郵便で教育委員会へ送ります」  校長は少し動揺しているようであった。「中学1年の子供がどこでこんな知恵をつけたのだろうか?」と思い、言った。  「わかりました。このことは職員会議の議題に上げましょう。その結果も報告してあげるから少し待って下さい」  「はい。お願いします」              *   それから数カ月が経った。職員会議の報告というのはなかったが、いじめは台風が過ぎ去るようにピタリと止まった。  しかし栗田はそれが面白くなかったらしい。あの手この手で亮介をいじめにかかった。  「『クラスの団結にはスケープゴートが必要なんだ。こいつは見事にその役を果たしてくれたいた。なにのあの校長め。余計なことを言いやがって』」と思っていたのだろう。  そこで先ずは英語の教科書に落書きがないか調べてみた。ゆっくりと教室内を歩き、授業をやっているふりをして落書きの有無を探す栗田。そして栗田が亮介の机までやってきた。「落書きはないかなあ」  あった。亮介の教科書のsixがsexになっていたのだ。  「これ消せ」  栗田が命令する。しかしそれで終わってしまった。栗田としては全く面白くなかった。後は亮介のやりたい放題であった。  ある日、亮介が忘れ物をした。しかし亮介は反省の色も見せずに言い放った。まるで自分は何も悪いことはしていないかのような言いようであった。  「忘れ物くらい取りに帰ってもええよ」  栗田の怒りに火がついた。彼は亮介の態度に烈火のごとく怒り、亮介の机までやってきて亮介に自分の顔を近づけると言った。  「お前、それ誰に向かって言うてるのや」  しかし、それだけで終わってしまった。亮介の顎をしゃくり上げようとしたのだが、顎を持っただけで途中でやめてしまった。「暴力を使ったら負け」だと言いだしたのは栗田なのだ。   こうして、栗田と山形からのいじめは暫らく影を顰めてしまったが、亮介は満足しなかった。「職員会議の報告」というものが一向になかったからだ。  そうして、しばらく経つと、また山形が亮介にちょっかいをかけ始めた。そして次の事件が発生する。                        *   ある日、亮介は山形の給食のパンに何かをかける真似をした。本当は殺そうと思ってヒ素をもってきていたのだが、さすがに犯罪はまずい。だから実際には何もしなかった。かける真似だけしたのだった。  しかし、それを見た二人の女子生徒が何か汚れたものを見るような目つきで亮介を見たかと思うと、教室を出ていった。  すぐに栗田から呼び出しがかかった。  指導室へ急ぐ亮介。栗田が待っていた。  「何でこんなことするんや?」  「こんなこと」と言われても全く身に覚えがない。実際には何もしていないのだから---。何を言われているのか全く分からなかった。身の覚えのないことで呼ばれたのだ。そこで亮介は考えた。  「『あの女、俺の顔が醜いので何か先生に文句つけに行ったんやな』」そこで亮介は答えた。   「いや、こんなことと言われても---」栗田の横には満面に怒りを蓄えた山形が座っている。  「それなら山形にパンを持って来てもらう」  山形が退室し、もう一度現れた。パンを持っている。そのパンを見て亮介は色を失った。なぜかそのパンの中に鉛筆の削りかすが詰められていたのだ。全く身に覚えのないことであった。  しかし今になって犯人の見当は大体ついている。  山形が自らやったか、いつも亮介を体育館の裏で虐めている東田か中尾だろう。東田は陸上の長距離の選手であり、中尾は野球部のピッチャーであった。いずれにしても亮介には全く身に覚えがない。  いじめがなくなったので、面白くなくなったこの三人の自作自演だと考えるのが最も妥当な線ではなかろうか?  とにかく、これでまたいじめが復活した。  「もう学校へ行くのはやめよう。そして僕は部屋から一歩も出ない。そうすればみんなにこの嫌な顔を見られなくてもすむんや」  そして「引きこもり」が始まった。
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