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施設に入ってから何ヶ月かが過ぎ。
規則的な生活にも慣れて僕は段々と退屈していた。
やりたい事を見つけるようにと施設の案内人が提案していた意味を理解する。
何かやりたい事でもなければ、ここは酷く退屈なのだ。
それでも僕はまだ、やりたい事というものは何一つ見つかってなんていなかった。
やりたい事を見つけたいとも思えず。
自殺をする事も少しだけ考えたけれど、なんだかそれにさえ目的意識を持てなかった。
それでも退屈が少しだけ身体を気怠く動かし、この施設での時間の半分以上を占める自由時間にふと僕の足を中庭へと運んだ。
円形の塔である施設がくり抜かれたように空へ開かれていて、ガラスがその周りを覆っている。
通路はそれに沿ってガラスの壁でぐるりとそれと隔てられている。
今はゆっくりと溢れるように雪が降っていて、それが芝生を少しだけ凍らせている。
ガラス張りのドアを開けると手にも頭にも冷たくて凍えそうな空気が刺さって痛い。
でもそれは不快じゃない。
そのまま中庭に踏み出して裸足で冷たい雪に足跡をつける。
ここは来たのは初日に施設を案内されて以来だ。
窓の外を見れば雪がずっと降っていて酷く寒いのは知っていたのに、それでも中庭に出てしまったのは………もしかしたら僕は本当は外が恋しいんだろうか。
それとも帰りたいのだろうか。
家業で人を殺す日々に。
そんな事はあり得ない。
ただそう、退屈が僕を少しだけおかしくさせたのだと思った。
宛もなく驚くほど広い中庭を歩いていく。
暫くそうして歩いているとその先に誰かが見えた。
こんなに寒いのに僕以外にも物好きが居たみたいだ。
或いは同じように退屈がそうさせたのか。
近づいていくとそれは車椅子に乗った女の子だった。
見たところまだ小さくて子供のはずなのに夥しく白髪が混じっているせいで灰色に見える髪の毛、やせ細った腕や身体。
何よりよだれを垂らしながら笑っている様と右目しか見えないくらいに包帯が頭に巻かれた姿は一目見て異様と感じた。
怖気づいて帰ろうかと思ったが、よくよく考えたら、こんな寒い中小さい女の子を一人残していくのは少し躊躇われてしまった。
しぶしぶ恐る恐る近付くと正面に立ってもこちらに気づいた様子はなく、顔にぐるぐる巻きかれた包帯の隙間から辛うじて見えるであろう彼女の右目の目線の先に手を翳しても反応する様子はない。
よく見ると複数の点滴の袋が車椅子に固定されていてそこから腕に何本も針が刺さっている。
まるでそうしないと命を繋ぐ事すら危ぶまれるとでもいうように。
その痛々しい少女に僕は改めて気味の悪さと恐怖を感じた。
けれど…………その光景にそこに立ち尽くして呆然と見ていると段々と僕はその自分の感情を恥じた。
この子は何も悪い事はしていない。
ただ心や身体がおかしくなってこうなっているのにそれを僕が勝手に怖がっているのは『こうなりたくない』と見下して嫌悪しているからだ。
自己嫌悪に陥った僕はふと、この子がなんでここに居るのか考えてしまった。
僕ですら寒いこんな外の気温にこんな病弱そうな子が晒されているのは大丈夫なのか。
そもそも此処にこの子が居るのは自分の意志なのか?
そう思うと僕は恐る恐るその子の肌に触った。
柔らかいがとても冷たい。
マズい、もしかしたら寒くて身体が動かないのか?
僕は急いで車椅子を押して中庭から施設の屋内まで戻った。
エレベーターを押して医務室のある階へ行く。
そこで施設の人に声をかけた。
「す、すみません、この子を……!」
「あら、エンジュ君、どうしたの…………その子は………ああ、ミナイ・センちゃんね。」
「中庭、寒いのに一人で居て、肌が冷たくなってるんです。」
「………あー、確かによく居るわね、今日みたいな寒い日にも出てたなんて驚きだけど………お気に入りの場所みたいだから。」
「へ………?」
そう言われて車椅子の女の子___センと呼ばれた子___を見ると。
彼女はさっきまでの微動だにしない態度から打って変わって非力な痩せた手で車椅子の車輪を回そうとしてはすっぽ抜けていた。
どうやらあそこに居たのは彼女自身の意志だったらしい。
勘違いに少しの罪悪感と恥ずかしさを感じていると施設の人はセンという女の子の頭を触った後、指に計器を挟んで何やら記録していた。
「ありがとう、エンジュ君、確かに少し危険な状態だったわ、この子、自分が凍え死ぬかもしれないのもわからなくなってるのね………身体を温めるものとお薬、持ってくるわ。」
そう言って、施設の人は駆けて行った。
よかった、どうやら僕の思い過ごしの勘違いでは無かったみたいだ。
そうやって少しホッとしていると、不意に車椅子からこちらを見てくるセンという少女と目が合った。
右目だけ、包帯の間から覗かせた目。
僕はまたしても恐怖を感じてしまった。
さっき反省したばかりなのに………そう思い直してもう一度見つめていると。
その目は明らかに僕を見つめているように見えた。
僕は何故だか蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。
さっきみたいに手を翳したり身体を動かしたりして目線が自分から逸れるかどうか試したりしてみればいい筈なのに僕にはそれが出来なかった。
もしもそれを確かめようとしてその目が自分を追ってきたら。
そんな事を感じて動けなくなった。
それから彼女は先程までのだらしなくよだれを垂らしなく笑っていた笑みとは違う微笑を浮かべた。
それからけたたましく笑い声をあげる。
それこそ狂ったように。
いや、この施設に患者として居る以上は誰もが何かしら『狂って』るのは間違いないのだが。
そこへ施設の人が医者を連れて戻って来た。
「笑い声が聞こえたから急いで来たけどやっぱりね………びっくりしたでしょ?この子、時々こうなるの、気にしないで?」
そう僕に声をかけた施設の人は注射器をセンに刺して薬を投与した。
その間も別に笑い声が収まる事はない。
「せっかく温かいもの持ってきたけど、この様子じゃ暫くは飲めないわね………仕方ないからエンジュ君、飲む?落ち着くココアよ。」
そう言って持ってこられたマグカップを差し出された。
センという少女は毛布を被せられて医師に押されて診察室の方に入っていく。
「はい…………。」
僕は貰ったマグカップからココアを啜りながら診察室の中からセンの笑い声が聞こえなくなるまで廊下のベンチで座っていた。
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