残された夏 青柳 哲也

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     突然の片野の登場に驚いたのは俺だけではなかったらしく、遠巻きから様子を伺っている生徒や篠原自身も片野に驚きの表情を見せていた。  片野は篠原の様子などお構いなしに耳元で何かを囁くと、大きな瞳を伏せて顔色を悪くした。  片野はポケットからスマホを取り出し、篠原も同じようにスマホを取り出す。連絡先を交換したらしく、片野はすぐにその場を立ち去った。 「……篠原、大丈夫か?」  俺の声は少しだけ緊張して篠原の耳に届いたと思う。  篠原は俺を見て少し目を見開くと、曖昧に頷いて小さく微笑む。  大丈夫か?とは片野の事かそれとも違う事なのか、俺すらわからないのに篠原もわかるはずがないだろう。 「片野はなんて?」 「……色々知ってたみたいで」 「色々知ってた?篠原の事をか?」  小さく頷くのを確認すると、篠原の背中を押して人のいない場所へ誘った。  職員会議でも教頭から篠原の母親の事は一切話すなと言われたばかりで、教師連中の間でもそれは同じだ。  篠原が話をするならそれはいい、渉や慎吾のような篠原を支える友人には内緒にするより話した方がいいだろう。  だが、片野ユーマは違う。 「片野くんのお母さん、僕の母が働いていたスーパーの店員さんと友達なんだそうです」 「あぁ……」  人の口に戸は立てられない、昔からのことわざはこんな時に痛感する。  いくら隠したくても露見して、他人は面白がり広めて仲間を増やしていく。 「片野くん、困った事があったら連絡しておいでって」 「……そうか」  ……そんな事は信じるな。  もしも俺が教師じゃなかったらその言葉をすんなり言えたのかもしれない。  困った事があったら、そう口にして手を差し出す人間にも気をつけろと。  だが気をつけろと言う片野はこの学校の生徒でもあり、その片野を信じるなとは言えなかった。 「大丈夫ですよ。そんなに心配しなくても。本当に片野くんは優しい言葉をかけてくれただけなんです」 「そうか……篠原、二人で飯でも行こうか」  だから、俺は間違えしまった。  教師として誇りがある訳でもなく、なのに教師という仕事の枠にやたらとこだわって。  何とかしてやりたくて、でも篠原は日常を揺るがすストレスなのも事実で。  その場しのぎの約束で誤魔化した。 「二人でですか?」 「あぁ、嫌じゃなかったら」 「嫌だなんてそんな。ありがとうございます。楽しみにしてます」  32歳にもなってあやふやな人間だから、小さな火の粉を振り払う事ばかり考えてまともな言葉もかけられなくて。  だから、間違えてしまったんだ。  
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