ひとつの夜に 篠原 有

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       手元に並ぶ食材をどんどん切って鍋に放り込んでいく。  今日は母さんの帰宅時間までにはカレーを作り終えておきたかったのに、渉と慎吾がこれでもかと笑わせてくるものだからついつい遅くなってしまった。  挽き肉たっぷりのカレーは母さん好みのもので、手際よく炒め終えると水を足して蓋を閉めた。  手元に並ぶ食材をどんどん切って鍋に放り込んでいく。  今日は母さんの帰宅時間までにはカレーを作り終えておきたかったのに、渉と慎吾がこれでもかと笑わせてくるものだから……違う。  手元に並ぶ食材をどんどん切って鍋に放り込んでいく。……違う。  何かが違う。  母さんの為に作るはずだったカレールーの箱を手にして見る。そのパッケージは、遠目から見るとよく購入しているもののはずなのに、まるで抽象画のようにハッキリとしないのだ。  目に近付けて見たり遠く離して見たり、側から見れば老眼で苦労している人にしか見えないはず。  何かがおかしい、そう思うのに何がおかしいのか分からない。  キッチンから出てリビングのソファーに座るとカレールーの箱をテーブルに置いて室内を見回した。  カランと慣れ親しんだバイト先の煉瓦のドアベル。コーヒーの香りが狭い店内に充満していて、僕は立ち上がりエプロンを身に付ける。  バイトの時間、大切な時間。  マスターの為にも早く仕事を覚えないと、狭いカウンターに入りアルコールランプに火を点ける。ドリップよりもサイフォンが好きな青柳先生の為に。  青柳先生……何度も何度も求めた。心も体も焦がれておかしくなって、せめてこの気持ちが青柳先生を苦しめないように、好きとは言わない。 「有!有!」  泣かないで、泰子叔母さん。光弘叔父さん、ごめんなさい。  ふわふわ飛ぶ意識は泣き声にハッキリとしてきて、止まりたくもない場所を見つけ真っ直ぐに降りてくる。  根を張る場所を知っている。僕はコンクリの隙間に僅かに残る土を見つけ、そして、目を開けた。  視界の中には泣く泰子叔母さんの顔、光弘叔父さんは僕と目を合わせホッとしたように涙を流す。 「良かった……有、ごめんな」  謝らないで、そう光弘叔父さんに言いたいのに。 「有、ごめんね。私たちが至らないばっかりにこんな事になってしまって。本当にごめんなさい」 「泰子叔母さんも……光弘叔父さんも何にも悪くない……悪いのは……全部僕なんだ」    守りたかった。ただそれだけだった。  
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