ひとつの夜に 青柳 哲也

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「一昨年に常連客だけで旅行したんだよ。旅行って言ったって隣り地区に一泊だけね……ほらほら、これが蒲田」  店主の指が、男の上で止まる。  浅黒い肌に窪んだ目小柄なわりに膨らんだ腹、浴衣はだらしなくはだけて酒で赤く染まった顔。何を喜んでいるのか満面の笑みを浮かべてピースサインをするその姿を見て、腹立たしさに拳を強く握った。  こんな男に、こんな男が。 「顔知らないと見つけるのも苦労するだろ。でも絶対すぐには金、戻らないと思うなー。かなり借金してるみたいだし」 「いや……すぐに返してもらわないと困る」 「まぁそうだよなぁ。そりゃそうだ。ちょっと前はさ、仕事もしてて漸く起動に乗り始めたとか言ってたんだけどね。この写真あげるよ」  写真を受け取り見た目以上に丁寧な店主にお礼を言って店を後にすると、大音量でクリスマスソングが流れる街を歩いた。  もう、覚悟は決まっていた。  店主が言っていた近くのパチンコ屋を見て回り、脳裏に焼き付いた写真の男を探す。  一人一人顔を覗き込んではまた違う店に行き、雀荘を見つけてはその店の従業員に写真を見せて聞いた。  パチンコ屋の従業員は蒲田の事を知っていたが、ここ三日ほどは顔を見ていないとどのパチンコ屋も同じ事を言う。  そんな時だ。  携帯に入ってきた篠原の叔母である泰子さんからの電話、蒲田を探しながら取ると泣いていたのが分かる声がする。 「先生……有は被害届けは出しません」 「え……出さない?なぜ?」 「同意していたからだそうです。警察の方が来る前に色々事情を聞いたんですけど、その男性とは前からそういう……関係だった……と」 「そんな、だって、篠原はあんなに……」 「そうですよね。お医者さんもそう言ってます。でも本人はレイプではないと、だから被害届は出さないと」  そんなはずはない。  電話を切ると、漸く自分がどうしてここまで蒲田を探しているのか分かった。  警察に突き出してやる、罪を償わせてやる、ぶん殴って有と同じ痛みを味合わせてやる、そう思っていたけれど。  有の傷も他人に見せなきゃいけない。  泰子さんとの電話を終えて茫然としていた時、その男が目に入った。  身長も低いのに闊歩する姿を見て、何となくこんな男なんじゃないかと顔を見れば、ボサボサの頭と丸い顔が写真の男と重なる。    
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