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すぐにやって来た警察官に連行され、蒲田との話を色々と聞かれたが有の事は話さなかった。
蒲田は俺が何も話さないのをいい事に突然殴られたと喚き散らし、警察が店先の防犯カメラをチェックしても嘘を吐いているようには見えないと繰り返す。
だが、とんでもない状況になったにもかかわらず、心はとても穏やかだ。
殴った事で得られた達成感というよりも、決断後の事だけを考えればいいのだから。
真剣に考えることを避けてきた俺にとってはこの夜が分岐点だったように思う。
静香が真っ青で迎えに来た時も、あまり深くは考えてやれなかった。最低だと思うのに、どうしようもなくスッキリしているんだ。
静香の運転で自宅に帰るまでも彼女は何も聞いてこなかった。深夜ということもあって大音量のクリスマスソングは流れていなかったものの、人は多く賑やかだ。でもその音すら遠くて、この静けさが余計に無言にさせてくる。
「……好きな人がいるんだ」
だからこの言葉も、何も無かったように通り過ぎていった。
エンジンが止まって漸く運転していた静香に目をやると、彼女は疲れた顔で微笑み着いたと口にする。
見慣れた駐車場に自宅に帰ってきたんだと気付いて、車を降りると二人でマンションに入った。
何も聞かない、何も言わない、あるのは静けさと冷たい風だけ。
終わったんだ。
俺がずっと大切にしていたものは無くなった。
家のリビングに入るとテーブルを挟んで二人で椅子に座り、こうやってもっと早く彼女を見れば良かったと思う。
疲れた顔をしていた、元々華奢な静香は前よりもずっと細くなっている。でも俺には、いつから静香を一人にしていたのか思い出せない。
「好きな人って……どうしてそうなったの……」
「わからない」
「……その人とは……いつからなの」
「夏の……終わりかな」
「…っ、結婚する前からって事なの?」
「そうだ」
「哲也……自分が何を言ってるのか分かってるの?」
「分かっている。……申し訳ないとしか言いようがない」
露呈していく罪。
泣いて縋る静香にただ謝るだけしか出来ない。
「その人と会わせてよ!私の存在を知っていたんでしょ!今すぐその女を連れてきてよ!」
この時になって俺は、また見たくない現実に直面する。どす黒い欲望はいくら吐き出しても切りが無い。
「その人は……俺のことを好きじゃないんだよ」
「……なら、また私が頑張ればやり直せるってことよね」
止めどなく流れる涙をそのままに、静香はこんな俺に縋ってくる。その姿が、その優しさが、どうしたらいいのか分からない。
もう俺ではどうしようもないんだ。
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