ひとつの夜に 青柳 哲也

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 その二人をこんな形で傷付け、土下座までさせてしまったのだ。言葉なんて見つからず、聞こえない声で呟いた謝罪の言葉に母は力無く微笑んだ。  それからの日々は有のことや静香とのこと、両親や友人たちとの思い出の中に居た。  食事すら喉を通らず、水分だけを補給してはまたタバコに火を点ける。  考えて自分を見つめ直す時間のはずが、瞬く間に流れる思考に疲れて眠りに落ちる日々。被害者面した最低野郎が何をしているとも思ったけれど、そんな事も一瞬で瞼を閉じればまた深く堕ちていく。  漸く食事をしようと思ったのは、父親が俺の部屋の戸をノックしたからだった。  一緒に飯でも食うぞ、その一言で古いベッドから起き上がり着替えをして階段を降りる。  台所から廊下を挟んで向かい側にある茶の間へ母親は料理を運んでいて、俺も味噌汁の入った碗を運ぶと三人で座った。  別に何を話すわけでも聞かれるわけでもない。ただ、テーブルに並ぶ料理は大好物のものばかりで、無言で食べながら心が温まるのを感じていた。  食べ終えて食器を片付け、父親が無言で俺にもお茶を淹れてくれたことでまた茶の間に座った。  香りのいい湯気を嗅ぎ、ごちそうさまでしたと小さな声で口にする。 「美味かったよな、今日のは」 「今日のはって何?お父さんいつも一言多いんじゃないの。私がいつもどんなに食事考えてるか分かってるの」 「いつも美味いって言ってるだろ」 「言ってません」  二人のやり取りに思わず笑うと父親も表情を緩めてテレビをつける。日曜日の夕方は一週間のニュースを繰り返し放送していて、それを三人で見ていると今の自分の状況を忘れてしまうようだった。  でも、一度犯した罪はけして見放してはくれないものだ。  家の電話が鳴り響いたのそんな時だった。  母親が立ち上がり昔から使っている白い電話の受話器を取り耳にする。  何度も繰り返し「どういう事ですか?」と相手に聞いている母親に俺と父は自然と視線を向けた。 「ごめんなさい、誰かと勘違いしているんじゃ?」  困惑する母の声に父はリモコンを片手で探りテレビを消す。母親は見ている俺の顔を見て、受話器を震える手で向けてきた。  只事じゃない雰囲気に襲ってくる不安、受話器を受け取り耳にすると心配そうに見詰める母親の目を見る。 「はい」 「あ、あのー〇〇高校の担任をされている青柳哲也さんですか?」 「はい、どなたです?」  声には覚えが無くて、騒がしい室内にいるだろうその男の声に集中する。 「わたくし、週刊SKYという雑誌の記者をしています、後藤と申します。ちょっと取材をお願いしたくて電話させて頂きました。今時間はよろしいですか?篠原有さんの事なんですけどね、信じられない写真がわたくしの前にありまして」  とても軽い感じでそう話す男、返事なんてする間も無く早口で話す男は、もう記事は出来ているとも語っていた。  
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