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その日は朝から霧のような雨が降っていた。
寒いのに早朝から自宅に帰る為に二人は準備を手伝ってくれて、平日という事もあって出勤しなきゃいけない二人に申し訳思う。
スポーツバックに詰め込んだ洋服、手に持たされた紙袋の中にはお昼にでもと真美さんの作ったお弁当。
もう、此処に戻るつもりは無かった。だから残した荷物も後で送ってもらおうと纏めておいたし、部屋も綺麗に掃除しておいた。
やっと帰れる、やっと青柳先生に会える。
きっと今日がこの家にいる最後の日。僕は深々と頭を下げお礼を言うと、真美さんはじゃあ26日にと笑顔で手を振る。
電車は人も疎らですぐに座ることが出来て、到着するまでの時間は寛ぎながらずっと懐中時計を握りしめていた。
景色を眺めていると徐々に見覚えのあるものに変わっていく。畑が過ぎて、山を越えて、民家が並び、ビルが高くなっていく。
やっと着いた、そう思った。
やっと自分の居場所に辿り着けた喜びと、今から会う青柳先生の事を考え、浮かれた街に到着した時には僕も周りと違わず浮かれた顔をしていたと思う。
知っている場所、知っているけど入ったこともないビルや店、知ってるからこそ紛れ込める気がするのかもしれない。
自宅のマンションまで歩いて、いつものように階段を使い四階へ上がる。剥き出しのコンクリートの古いマンション、化け物屋敷と言われてもおかしくないと住んでても思う。
それでも此処は住まなければいけない所なんだと、鍵を挿して首を傾げた。
住まなければいけない……それって変な考えだ。でもそんな思考も玄関のドアを開ければすぐに無くなる。
蒲田との出来事で掃除を覚悟していたのに、久しぶりの自宅は綺麗に片付けられていた。
きっと泰子叔母さんや真美さんが掃除をしてくれたんだ。嫌な光景だったに違いないはずなのに、僕があんな事になってしまって二人に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
乾いていたとしても体液の残りだって床にあったかもしれない、人のそういう物を片付けて面倒まで見てくれた。
広がる羞恥と罪悪感、どうすれば恩返しが出来るのか全く分からない。
でもそんな思いも青柳先生からの連絡ですぐに気持ちは切り替わってしまう。
なんて薄情なんだと自分でも思うのに、これから起きる時間の方が大切だと心が躍る。
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