残された夏 篠原 有

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   テーブルに並んだ料理はどれも美味しそうで彩りも良く、静香さんが料理上手なんだとわかった。  椅子に座るとすぐにオレンジジュースを渡され、静香さんは長い髪を後ろにアップしながら僕の目の前に座り、静香さんの隣には青柳先生が腰を下ろす。   「篠原くん、遠慮しないでいっぱい食べて。ビーフカレーと、一口ピザでしょー、後はツナサラダと野菜スープ。嫌いなものとか無い?あったら無理して食べなくていいからね!」 「はい、ありがとうございます」  すぐに食事を始めた青柳先生を静香さんは睨みつけ、先生は僕に視線を向けて早く食えと苦笑いしながら言った。  とにかく静香さんは気を使う人だった。  母さんの事には触れず、僕があまり話さないタイプだと分かると静香さんは自分の話をたくさんして。  よく食べて、よく飲んで、よく笑う。  時おり青柳先生に目を向け、皿にピザやサラダを取り分けて。  ドロドロとした感情が渦を巻いたのは、静香さんがあまりにも眩しかったからだと思う。  僕がこんな状態の時でも、たくさん食べて飲んで、笑ってる人がいる現実。  当たり前の事なのに、その当たり前が僕には無くなってしまった事が、優しく眩しい静香さんを見ていて気付いてしまって。  そしてこの空間に自分がいることがとても情けなくも感じてしまった。  結婚を控えている信頼し合った関係のカップルと、母親が男を選んで消えてしまった僕と。……情けなかった。  母さんは何処に行ったんだろ?  静香さんの手料理を義務のように口に運びながら、僕の思考は少し前の母さんの姿を追いかけていく。  いつもと変わらない日常。  いつもと変わらない、母親。  僕にはいつもと変わらない光景しか浮かばないのに、母さんはきっと違う景色を見ていたはずだ。  同じものを見ていても、同じものを食べていても、同じ音楽を聴いても、母さんはずっと前から僕の隣にはいなかったのだろう。  幸せな静香さんの笑顔が憎たらしく感じ、相槌を打つのも忘れて淡々と食事を口に運んだ。  最低だと分かってた。  これはただの、妬みだ。 「すみません、僕はそろそろ……」 「あら、もうこんな時間なの?ごめんね!篠原くん!」 「いいえ、僕の方こそ遅くまですみません。美味しかったです。ありがとうございました」  切り上げる事が出来たのは静香さんの話題が尽きたからだ。よく聞く会話を終わらせると、早々に立ち上がり二人に頭を下げて自分の居場所に戻ろうと知らない部屋を先に出た。  ここに居ると、自分が惨めで仕方ない。    「送ってくよ」 「いいです。歩いて帰れるから」 「何言ってんだよ。いいから、送ってく」 「青柳先生、僕は大丈夫です」  子供染みてる自覚もあるのに。  玄関のドアを背にして振り返り、しつこくて優しい先生を見上げた。 「篠原、じゃあ二人で歩いて行こうか」   失礼でガキな僕の言動に動じない先生はにっこり笑って、僕より先に重いドアを開ける。廊下に立っていた心配そうな静香さんにぎこちないお辞儀をするとそのまま外に出た。  なんだか、ボロボロになった気分だ。  勝手に妬み、その炎に焼かれて。    
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