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ミス・スウィング
ふかふかの布団、窓から覗く朝陽、ちょっとした喉の渇きに、微かに朧な視界。
素っ気無い木製の壁が辺りを覆い、床には大きな鞄だけが寂しく置かれている。この部屋にあるのはその鞄と、備え付けのベッド、鏡、机。以上。
なんにせよ、普通の朝だ。
1つ、欠伸をしてベッドから降りる。その途端、床が頼りない音を立てた。悪寒がして足元を見ると、やはりと言うべきか、剥がれかけた木片が、鋭利な先端をこちらに向けている。上質な宿屋だと自負するのなら、絨毯でも敷いておいてほしい。
枕の下から着替えを引っ張り出し、なんとなく、香りを嗅いでみた。が、すぐに離してしまった。鼻につく嫌な臭いだ。洗濯してこれなんだから、どうも、相性が悪いらしい。皆が言う芳醇な香りとやらがこれなのか、実に疑問だ。
寝間着を脱ぎ捨て、普段着に身を包む。改めて袖口を鼻に当てても、駄目だった。あぁ、僕は皆と違うんだ。結局、人の感情なんか悟りようがないんだ……なんてな。
立てかけてある鏡の前に立つと、前髪の跳ねが視認できた。取り敢えず撫でて見るが、すぐに反発しやがる。強く押さえても、大差なしだ。
暫らく考える振りをして、リュックから黒っぽいハットを取り出し、頭に被せた。外すのを忘れないように、だな。
これくらいしておけば、まあ、問題ないだろう。後の準備は1時間後にしたって変わらない。喉が渇いたからって死ぬ訳じゃ……死ぬか。生きる上での必須事項なのだから、さっさと潤してやるのが賢いか。
しかし、この時間に準備万端を整えておくと、魔術師が気負って、起床時刻を更に早めかねないしな。暢気に眠りこけている振りをしておこう。別に、俺より遅く起きたって構わないのに。
とは言え、睡眠時間を縮めるとしても一日だけか。明日、魔王を討伐して、それでお終いだものな。その一日だけなら、睡眠不足も大した問題にならないだろう。なんたってお終いだものな。
……そうさ、魔王を討伐したら終わる筈なんだ。
このまま読書でもして時間を潰そう。そう思い立って、荷物の中から軽めの小説を引っ張り出す。表紙は色褪せて、上端が少し破れているような本だ。王都を出てすぐに買った筈なのに、こんなに変わってしまって。
それでも、中身は何一つ変わらない。胸踊り、夢に溢れた、子供達の冒険活劇。事象が全て、目の前で展開しているように感覚し、ページを捲る手は操られるように、踊り狂うように止ま……った。
下らない。1つ、大げさに欠伸すると、本をベッドの中心に、うつ伏せで置いた。四肢の動かし方と目のやり場に迷って、狭い部屋中をうろうろ歩き回る。
そうして、2か、3分は経っただろうか。天井のシミを見つめながら、俺は監視されていて、大きな動作を見せると矢の雨が降りそそぐんだ、なんて夢想しながら、ゆっくり日記を取り出した。
最初のページから1枚ずつ、1日ずつ数え、もう我慢ならなくなり、一気に最後の記入日まで飛ばした……13。それは多分きっと恐らく昨日だから、あるいは絶対に昨日だから、今日は14日、と考えるべきだ。
日記を持ったまま、手を宙ぶらりんにして、今度は床に入った線を目で追う。そうしていると、雲が晴れた。太陽が諸手を振るい、薄暗かった部屋を照らす。それはもう、何度も見た光景だった。
認識を先延ばしにしても、結局、現実は変わらない。
また廻った。そうだ、また廻ったんだ。猫が自分の尻尾を追っかけるみたいに、待て、あれは犬だったか? えぇい、そんなことは等しくどうでも良い。
例えるとしても、相応しいのは龍だ。ウロボロスだ。蛇か? クソ!
勇者として祀り上げられて、魔王なんかと戦う宿命を負わされて、18歳の誕生日だって旅の中で迎えて、そうして、ようやくここまできて、だのに……あああああ。
決戦前夜へ巻き戻ったのが20回だと考えると、つまり、
「俺達は皆の願いを背負ってここにいるんだ! これで全部、終わらせてやる!」
と啖呵をきったのも20回ということになり……いい加減にして終われ。少しは弁えろ。
地団駄を踏みたいところを我慢して、なるべく大袈裟な溜息を吐く。いっそ、このまま息を使いきって眠りたい。
なんにせよ、だ。タイムループという概念を生み出した奴は命を落とせばいい。
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