ミス・スウィング

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顔と手を入念に洗ってから食堂へ向かう。そこにはいつも通り、全くなぁんにも変わらず、長方形の木製机と、椅子4つのセットが3列3列に、計9つ並んでいる。ちょっとくらい配置に気を遣って、こう……何も思いつかない。気を遣った配置が何も思いつかない。 席に着いているのは1人だけだった。一昨日、即ち、俺にとっては20日くらい前にこの町が魔物から解放されたばかりなのだから、旅人も立ち寄らない。周辺の住民も皆、家族や友人と久方ぶりの平和を満喫しているのだろう。だから人気がないんだ。そうに決まっている。そうに違いない。きっとそうだ。 で、その1人というのすら、俺の同行者である女魔術師なのだから、なんともはや。遠目で窺うと、机の下に手を潜め、握ったり開いたりしていた。意味は知らないが、呆れるほど見た行為だ。こればっかりは、ループしていようがしていまいが、一切関係ない。 その身なりも、いつもと変化がなかった。黒のヒラヒラワンピースの上に、前方が開いて、足元まで伸びた透けコート。ついでにフードを目深に被って、私は影ですと言外に発しているような、いや、待て。あの服装って、考えてみると、こう、うん、止めておこう。 兎も角、毎回変わってくれれば、少しはやる気も出るのに。取り敢えず、メイド服が出るまでは粘れる。メイドなんか、城で馬鹿みたいに見たけど、それはまた違う。大いに違う。あの大量の召使いは……考える度に寒気が立ってくる。 「おはよう、シニストラ。昨日は暑かったけど、眠れたか?」 「え!? あ、はい、えっと、その……はい、大丈夫でした」 ……また変わった。 前回はもっと間抜けな声だった。言語化限界に近い、裏返った「ふぇっ!?」だった。でもって、大丈夫、と言う時に思い切り噛んでいた筈だ。あれは、良かったな。 今まで散々試してきたんだ。このループの中で記憶を保持しているのは俺だけ。行動を選び直せるのは俺だけ。それは分かっている。 だがそれは、俺は俺と同じ行動をとれない、ということを意味している。で、結果としてふぇっ!?がえっ!?になったりするんだろう。頑張ればもっと遊べるかもしれない。 「お水、お持ちしました」 俺がタイミングを図ったこともあり、ナイスなタイミングでウェイトレスが現れた。軽く礼を述べて、コップの水を半分ほど飲み込む。こうしてやらないと、魔術師は水も飲もうとしないんだから、悪癖と言っても過言じゃない。 「その、勇者様、今日の約束は……」 水を一口だけ飲み、夢か現かの瀬戸際に立たされたようにして、魔術師は縮こまりつつ言った。死に化粧みたいに白い肌が、ほんの少し紅潮している。 「覚えてるよ。俺もそこまで老けてないしな」 彼女の言葉を引き取り、冗談めかして皮肉をつけ加える。それが効力をもったのかは知らないが、彼女は微かに表情をほころばせた。 「町を観光するん、だよな? 一緒に」 「えぇ……覚えててくれたんですね」 老人じゃないって言ったろ? という言葉を呑み込んで、所謂「はにかむような微笑」を返す。5、6回目で言った覚えがあるが、あれは失敗だった。 魔術師はデフォルメされた絵画みたいに胸をなで下ろし、大きく息を吐いた。その空気を取り戻すのに失敗して、続けて咳をする。 「大丈夫?」 「だ、大丈夫です。ちょっと喉に、アレです」 答えは十分に予想出来ていたが、何分、ループなんかしている所為で、快感は微塵もない。 「……でも、珍しい話だよな」 「珍しい?」 「あぁ、咳の話じゃないよ、勿論。そうじゃなくて、君が町歩きなんて……初めてだしさ」 この辺りを支配していた魔物を掃討し、祝祭が開かれた後、木陰で人々を眺めていたとき、だったろうか。魔術師が俺の元へ来て、観光の付添いを請った訳だ。多分、確か。 まあ、今のところ食い違いは発生してないから、そういうことなんだろう。驚いたことは覚えているし。 「まぁ、興味ないんだって勘違いしてた」 彼女はそれを聞くと、ちょっと視線を落とした。フードの奥で、碧眼がまばたく……いつも思うが、円らで、綺麗だ。 「そう、なんですか」 心を読まれたようで、一瞬、血の気が引いた。振り払うようにして細かに頷き、左目にかかった前髪を払う。 それすらも何だか奇怪な気がして、直近の記憶を辿り、誤魔化せそうな言葉を手繰り寄せる。 「で、服とか、買いに行かないのか?」 咄嗟に出た言葉が、考えうる限り最悪に等しいということは、摂理が如く一瞬で分かった。 「……服って、服?」 返答を眺めるようにして、どうしてだろうと、なるべく冷淡に考える。服、そう、衣服なんだよ、何でか。 近過ぎたかな、と割合冷静な自分が告げる。つまり、本当に直近の思考を引っ張ってきた訳で……お前が後ろへ目を向けないから、こうなるんだ。 「無計画で行くのもなんだし、どうせなら普段しないことを、さ。昨日の祭り、いや、宴会かな。あれだって、この衣装じゃ合わないからって、シニストラも俺も、見てるだけで」 計画書を読み合わせるように、ぺらぺらと饒舌に語る。そんな自分に、逆に唖然とした。前回、魔術師が駆け寄ってくるのに気付いた時のような、そんな驚きに似ている。 「どう? 嫌なら別にいいけど」 尋ねると、魔術師は目を丸くして、押し黙った。次いで、首を傾げると、机の木目と俺とを交互に見る。 困らせちゃったか、とばつの悪い気がしてきて、耳に熱がこもる。アドリブするもんじゃないな。 「ま、必要だったら勝手に買うよな。俺が言わなくったって」 「い、いえ、違います」 「え、買わないの? それが王宮製ってのはまぁ、知ってるけど、流石に……」 「そ、そうじゃなくてッ」 身を乗り出すようにして、魔術師が悲鳴のような声を上げた。左をちらっと見ると、さっきのウェイターが苦笑いしている。魔術師もそれを察したのか、背もたれに身を預け直す。 「その、今のは……いえ、ごめんなさい」 「あ、いや、謝るとこじゃない。寧ろ、ごめんな、変なこと言って」 フードを更に深く被る彼女に、あと1言、2言、かけてやりたかった。けれど、どう繕っても洒落た言葉にならなそうで、軽く笑うしかなかった。それが最善かは分からない。 それから暫らく、ありがちな天気の話をひたすら引き伸ばしたり、下手な口笛なんかを吹いたりしていると、やっと料理が運ばれてきた。さっきの苦笑いと比して柔らかな表情を浮かべつつ、ウェイトレスが一瞬、じと目になり、右の口角を上げて、俺の方に呆れた顔を見せた。そんな気がした。 やれやれ、と言ってみたい。魔王を相手に連勝する方が、人と話すより余程簡単だ。
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