ミス・スウィング

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宿を出ると、乾いた風が音もなく吹いてきて、頬を滑った。空を見上げると薄い雲が広範囲を覆っていて、太陽の輪郭がぼやけて見える。雨も雪も降らないことは知っているし、湿気も実際ないのだが、なんとなく気分が沈んだ。 こんな状況で思索に耽っても、まるでお話にならないだろう。ループについて悩むのは、一先ず放棄した。誰が困る訳でもあるまい。 「それで、どこ行きましょう?」 魔術師が首を傾けて尋ねてきた。手提げ鞄を前で抑えていて、おしとやか、というより、育ちの良い子供みたいに見える。 確か、14、あぁ、違う、15だったか。実際、子供と言える年齢だな。偉そうにふんぞり返っている俺も大して変わらないが。 「行く先は……それさ、全部シニストラのセレクト通りにしたいんだけど、駄目か?」 男性として、いや、年長者として、俺が彼女をエスコートするべきなのかもしれない。そう考えると中々情けないが、こんなのさっぱりだ。許して貰いたい。 大体、男だ女だ年上だ年下だ、って、役に立たない時はとことん立たないし、統計的に見て不利な方向に働くことがやけに多い、気がする。要するにエスコート云々のマナー考えた奴も命を落としてほしい。 ……本当に、なんか、不利なんだよな、いつも。どうも食い違う。 「それ……私に任せるって意味、ですか?」 重大な役目を任じられたように、魔術師は背筋を伸ばし、語調を硬くした。生真面目だなぁ。 けれど、俺主導で動くより、彼女の作戦を通した方が、短時間で大きな効力を得られる。それは立証済みだった。多少の差異はあれど、今まで、割りと楽しく過ごせているのだから。 ……問題があるとしたら、きっと俺なんだよ。 「うん。そもそも、俺は只の付き添いだろ? そんな奴に気、遣わないでさ、行きたいところに行ってくれよ」 「でも、いいんですか。満足のいく、その……散策、にならないかもしれないんですよ? 勇者様についてきてもらう以上、私が勝手にする訳には……」 彼女は尚も食い下がり、上目遣いで俺を見た。咄嗟に言葉を返そうとしたのに、唇を舐めただけだった。 前回はどう説き伏せたろうかと思い出そうとして、記憶が全部、悪魔が暴れまわったみたいに焼けていることが分かった。いつも通りだ。都合のいい記憶喪失は俺の特権、というか、18番、というか十八番らしい。 先ずは笑おう。ヘラヘラしていれば、大抵のことはなんとかなる。そう信じて彼女の目を見ると、もう、駄目だった。 あのサファイアみたいな目が、時々、怖くなる。あの輝きを見ていられるなら全てを捨ててもいいと、つい思いそうになるから。 我ながら、勇者に向いていないものだ。 「俺は、君がいるなら、退屈することはないからさ」 沈黙をぶち切ったのは、自分でも身振いするほど、気障ったらしい言葉だった。 「だから、好きなところに行ってほしい」 そのときになって、ようやく自然な笑顔が作れたことを、神に感謝したいくらいだった。もし、くたびれた翁の姿をとって現れたら、左腕を丸焼きにして差し出していただろう。 「分かり、ました。その……任せてください。なんとか、やってみます」 魔術師も汚濁にまみれた洒落とでも言うべき滑稽には呆れたのか、只、笑いを堪えるように俯き、顔に紅色を浮かべた。 検閲だ。誰かが耳元で囁いた気がした。深く納得し、人知れず頷く。 この記憶も、寝て、起きたら、燃え尽きているだろう。今までそうやってきたんだ。ならば、気にしないようにするのが適切だった。 「……気取ったことを言うもんじゃないな。さ、兎に角、行こう」 そうして、本能のままに恥を上塗りすると、もう魔術師の顔を直視することはできず、さっさと踵を返す。額に冷や汗が滲むのを、はっきりと意識した。 口が回る癖に、話術が巧みな訳ではないんだよ、お前はさ。
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