ミス・スウィング

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人形屋に続き、食事にしようと入ったレストランには、見覚えがあった。苦い思い出があるところでもない。 第一、木造で、なんと観葉植物があるのだ。これ以上ないほど自然的……なんて誇大広告みたいなことを考えると、つまらないのだが。 店員は皆、にこやかで、手際も鮮やか。横長のカウンターの奥で、コック達が忙しなく動き回っている。料金設定も妥当。あと、料理が上手い。俺はよく分からない。 また、客もちらほらいる程度で、ひっそりとしているようだが、丘の宿屋ほど寂しくはない。今回は背丈が同じくらいの男女カップル? あるいは兄妹、いや、兄妹であれ! 俺は兄妹しか認めねぇッ! 兄! 妹! やら人生経験がつくる皺をたっぷり寄せたご隠居らしき3人組やら、熊の毛皮を被った大男やら……おい、あいつ何者だ。 それはさて置き、光を高所の大きな窓から入れていて、人形屋と比べて実に明るい。やはり、いい店だ。 丸机に魔術師と向き合って座ると、童顔のウェイターが大急ぎでコップを2つ持ってきた。軽く会釈するだけで、腰を曲げて馬鹿丁寧なお辞儀を返される。多分、新人だな。 彼女が背を向けてから、備え付けのメニューブックを開く。一冊しかないし、魔術師は俺が強引に勧めない限り、一緒に見ようともしないだろうが、問題ない。俺のオーダーする料理は既に確定している。前回と同じだ。 「決めた。気まぐれシェフの日替わりパスタだ」 安いし、量もさして多くないし、味つけは濃くない。問題は今日来るのが2度目な所為で、気まぐれ感が皆無なことだけだ。 メニューブックを閉じて、魔術師に差し出す。今回の俺のスピードには及ばないだろうが、彼女もこういうの、悩むタイプじゃないんだよな。助かる。 「結構、色々あるみたいだな。パスタだけでも11種類」 「あ、私も日替わりパスタにします」 「え? なんで?」 反射的に尋ねると、魔術師は円らな瞳を更に丸くして、ぱちぱちさせた。 「あ、いや、なんでもない。君も同じか」 けど、前回、訪れたときの注文……違ったよな。俺が早く決め過ぎて、プレッシャーを? そうでないとしても、ここでも気は抜けないらしい。前回は波風を立たせずに店を出られたが、どれほど状況がねじ曲がるか、分かったものじゃない。 魔術師はメニューブックを机の脇にどけて、近くにいたウェイターを、隣にいるんじゃないかと錯覚するくらいの声量で呼んだ。が、そんな声で届く筈もない。 逆に、俺が呼びかけるとすぐに来た。魔術師は申し訳なさそうな顔をしていた。なんかすまん。 「ご注文、お決まりでしょうか」 なんて定型文から始まり、 「日替わりパスタ2つ、お願いします」 「それでは、ご注文確認させて頂きます。気まぐれシェフの日替わりパスタがお2つでよろしいでしょうか?」 「はい」 「それでは、少々お待ち下さい」 なんて定型文で終わり、 「勇者様とシニストラ様から日替わりパスタ2つ、オーダー入りました」 という声が聞こえてくる。で、客の数人が露骨にちらちら見始めて、あちらこちらから声が上がると、はい、どうもぉ、なんて大道芸人みたいな挨拶を笑いながらする破目になる。これがなければ、俺だってチップくらい幾らでもやるんだと言ってやりたい。 金なんざ褒章やら大国の支援やらで、散在しても溜まる一方だ。金持ち自慢みたいで気分が悪いが、やろうと思えばバカスカ出してやれるのに。 机の上の小さな布巾を手にとり、態とらしく首を振る。誰か1人でもその意味を察して、何かを感じ取って……くれないよな。 「勇者だからって、皆して聖人な訳じゃないのに。拝んでどうするんだろう」 ちょっとした騒ぎが落ち着いた後、なるべくぶすっと疑問を漏らす。 頬杖をついて煙草でも吹かしてやりたかったが、生憎、今は持っていないし、生涯、持ち歩くことはないだろう。仕方がないから舌打ちしたいところだが、音がかすれて失敗だった。戦闘中でないと、いつもこうだ。 「勇者様は聖人、なんじゃ?」 観衆に手を振ってサービスするでもなく、しかめっ面をするでもなく、魔術師は真面目な顔をして、俺と同じく手を拭いていた。 「君までそんなこと言うなよ」 「そう見られたくないのは、知っています。でも、だって、本当のことじゃないですか。魔物の支配に対抗する町民をまとめたのも……」 「俺と、君だ。大体、勇者なんて仕事している以上、魔物と戦って魔王を滅ぼすのが目的だろ? 魔物の支配体制を崩壊させるのは至極当然なことであって、俺のパーソナルな面は一切関係ない。故に、それが俺の人間性を証明することはない」 そのことを知ってか知らでか、宿屋の従業員や先の店番は、我々のことをまるで特別扱いしなかった。そっちの方が気楽で助かるのだけどな。 「只の刃に過ぎない男を聖人だなどと……おっと、失敬」 コップの水を一気に飲み込み、大きく息を吐く。このことに話が繋がると、愚痴に発展していけない。 「何にせよ、俺が勇者だろうとさすらいの戦士だろうと、神様みたいな大層なものじゃない、ってことだよ」 そうして悶々としていると、さっきと同じウェイターが、湯気の昇るパスタの皿を2つ持ってきて、俺達の前に置いた。 今更だけど、なんでこう、店員に全部任せるのだろう。このレストランに限らず、あの不人気にしか見えない宿屋ですらそうだ。料理をその辺に置いておけば、勝手に運んできて食べるのに。ってか、超早い。やっぱ釣りは要らねぇぜプレイしなきゃ駄目か。 俺、ともう1人が妙に暗いボロ屋で暮らしていた頃は、食事なんて日に1度、ボロ屋から少し離して置いてあるだけだったのに。感染を恐れるみたいに。 まあ、そんなことを夢想しても無意味だ。助かってるのは事実なんだし。 さて……日替わりパスタはやっぱり変わっていなかった。日替わりメニュー事情についての理解は浅いが、気まぐれな日替わりパスタで、同じものを食すというのも、中々貴重な体験な気がする。日替わり日替わってないパスタ。 黄色の細い麺に、なんか香りが強そうな葉っぱ、ピンクっぽくて薄い肉、赤っぽくて少々厚い肉、みたいな、なんだろう。見るのが2度目でも、あまり分からない。 考えてみると、安い、早い、少ない、という3要素に加え、魔術師がやたらともの欲しそうに見てたからあげた、ということしか覚えていないんだ。違いないってことは確かなのに、あぁ、これこれ、って感じにもなれない。奥歯に得体の知れぬ何かが引っかかっているような、不愉快さだけがある。 同じなのに、僅かに違う感覚。夢か何かで味わった記憶が……そうか、久々に観劇する舞台の主演が変わっていて、納得できないまま終幕したときのアレだ。思い出したくなかった。 散々迷ってからフォークを突撃させ、ぐるぐる巻いて塊にしてから、麺を口に放りこむ。味は同じだ。甘いのか辛いのか苦いのか酸っぱいのか渋いのか俺の味覚は何も教えてくれないが、覚えがある……こういうのも、味覚音痴の一種なんだろうか。言語化できないのって。 「美味しくないんですか?」 料理に手もつけず、魔術師が捨て猫みたいに、懇願するような面持ちになっていた。非難する調子ではない。 「そういう顔に見えたのか? 不味そうな顔に」 「えぇ、まぁ……」 余程奇怪な面をしていたのだろう。それが料理の味に対するものだと思われたか。料理に、と言えばそうなんだけど。 「だったら、ごめん。普通に美味しいから、冷めない内に食べよう」 そう言うと、彼女は表情を明るくして、口角をほんの少し上げた。麺を小さく巻き取って、ゆっくり口元に運ぶ。 ほら見ろ、と勇者という幻像の信仰者に言ってやりたい。パスタの食事法1つとっても、魔術師は俺よりずっと優雅だ。聖人はすべからく、礼法を弁えているべきなんだよ。 「どうだ?」 「……美味しいです。とても」 「だよな」 彼女がそう言うんなら、そうなんだろう。俺は1回目だろうが2回目だろうが、なぁんにも分かりませんけどねペッ、ペッ……ってのはなんか飯に唾を吐くみたいで失礼か。 あ、でもこの肉はいいな。気前よく切ってて大きいし、歯応えがある。俺だって、歯応えは流石に感じ取れる。 そうだ、確か前回も、具材について賞賛していたんだ、俺は。正直、完食に時間がかからなければ、パスタはなんでも構わないけど、この肉は好きなんだ。寧ろ、肉を頼んでいる感じ。肉以外いらないこともなくはない。 肉を古代文字で表した形に硬貨を並べて、チップとして渡そうか。学のある店員が1人でもいれば、俺が何を気に入ったのか……ループしたら意味ないんだった。 「やめたくなったこと」 唐突に魔術師が呟き、フォークの先を伏せて、皿の端に置いた。俺もなんとなくそれにならいながら、肉を呑み込む。 「あるんですよね?」 ちょっと気になっただけなんです、と言うみたいに、彼女は笑った。だが、肩に力が入っていて、いつもより窮屈そうな印象を受けた。 「っていうと?」 残っていた僅かな水を、喉に流し込む。これで終わり、と考えると、何故か後悔しそうになった。こういう予感は必ず当たる。 「聖人として見られること……勇者であることを、です」 なんだ、そんなことか。思わず気が抜けて、にやけそうになる。 「ある訳ないだろ、そんなこと」 「でも、嫌、なんでしょう?」 最初、彼女が何を言おうとしているのか、分からなかった。で、考えてみたが、結局分からない。 何にせよ、緊迫した、所謂重々しい、気まずい会話に発展しそうなことだけを悟り、ぐっと拳に力を込める。 「嫌なのと辞めたくなるのは別だ」 「じゃあ……あの雪の村でのことは、どう思ってるんですか?」 「雪の村?」 聞き覚えのない単語が飛び出し、頭を捻る。あからさまに雪塗れそうな村だし、立ち寄っているのなら、真逆、忘れやしないだろう。俺って何故か雪嫌いだから。特に静かな雪崩とか止めてほしい。 「雪の村って、なんだ?」 「お、覚えてないんですか? ハクアも……」 また新出単語だ。脳内で検索をかけつつ、眉をひそめる。 ループが始まってから、こんなこともあるだろうとは推測していたが……俺が分からない側か。 「……本当に?」 目を丸くして問われるが、うんうんと頷く他なかった。分からないものは分からない。 話に聞いただけでも、到底記憶から葬れない村だと思うんだけどなぁ。例え雪塗れでなくったって、そのギャップで寧ろ定着するだろうし。 「話を戻すけど、大体、どうやって自分を辞めるんだよ」 「え……あなた自身と、勇者という肩書きは、それぞれ違うもの、ですよね。それなら……」 「違わないよ。俺は只、勇者だ」 あるいは、勇者以外の何者でもない、とさえ言える。ま、例外としてエグゼキューショナーもエグゼキューターも俺だけど。 「大体、俺が俺でなくなったら、シニストラは俺のことをなんて呼んでくれるんだ?」 シニストラだって、俺達を送り出した王都の人だって、ここの住民だって、口を揃えて俺のことを勇者と呼称するじゃないか。その名を失うのは、俺が死を迎える瞬間だ。 俺は聖人ではなくとも、魔を払う者でいなければならない。ある意味、最も勇者に依存しているのは、俺かもな。 「教えてくれれば……貴方が教えてくれたなら、私だって」 最初より随分小さくなって、子供が必死の抵抗を見せるみたいに、魔術師は言葉を継いだ。 どうしてだろう、と今になって思う。どうして、年端もいかぬガキを、魔王討伐の任なんぞに就かせるのだろうか。若者の英雄的冒険譚を後世に残すことが、そんなに大事なのだろうか。それを以って自分たちの権威を確立しようとするのも。 「俺だって自分の固有名なんて知らされてないし、そもそも、あるのかすら断定できないんだ。それに、俺の場合は勇者っていうのが名前だし、俺はその称号の通り、威勢よく戦えばいいだけだろ?」 そうだ、それで十分なんだ。魔物を屠り、魔王の魂を刈り取る、希望の象徴としての馬鹿げた名前。それさえあれば事足りる。逆に、なければすこぶる不便だ……不便だった記憶はないから、昔は他に記号があったのかもしれない。 まあいい。チヤホヤされるのだってすぐに終わる。あと数回ほど魔王を殺せば、きっと終わる。 「……じゃあ、戦いが終わったら、どうするつもりなんです。城に戻って、世界が平和になって」 「世界が平和になったら、それは……挨拶とか、報告とか?」 「それで?」 いつにも増してぎこちない笑顔で、魔術師が問う。俗に言うおっかなびっくりの誘導尋問みたいで、なんか可愛い。ついつい見惚れて、次の言葉が浮かばなくなる。 それに反して、調子いいな、と何故だか思った。 「死ぬ気じゃ、ないですよね」 それか、と合点がいった。えらく遠まわしだったが、それが聞きたかったんだ。脳がちょっとした快感をもたらす。 死ぬ気、な。笑える。 「なんだよ、シニストラは俺を殺したいのか?」 ちょっと悪趣味な軽口を叩くと、魔術師は青ざめて、信じ難いように俺を見つめた。 「貴方はいっつも……!」 「で、どうなんだ?」 「……そんなの……ありえない、じゃないですか」 幾分か語調を抑えて、彼女は怒りを発露させた。それで、着地点が見えた。 それに、嬉しかった。魔術師は少々気の抜けている面があるが、阿呆ではないし、感情をむき出しにして戦うような人でもない。そんな彼女が、冗談とは言え俺の為に怒ってくれたのは、嬉しい。 だけど、これ以上怒らせるのは、忍びないな。 「勿論分かってる。ごめん」 流石の俺も、分別くらいはもっているつもりだ。そうして、あれは失言にあたる……いや、この表現は厳密には正しくないか。意図的に放ったのだから。 「俺だってやることが残っていれば、いや、そうでなくったって、探せることがあれば、自殺なんてしない。それは本当だ」 なるべくゆっくり語ると、魔術師も冷静さを取り戻したようで、僅かに顔を伏せる。顔がフードに隠れるが、それでも、今、どんな表情をしているか、予想はできた。 そうして、今の俺は、最近でもまだましなことを言っていると、信じられそうになった。 「俺は聖人じゃないけど、勇者としてやれることがある。それをやりきるまで、死なないよ」 洒落でも考える時間を稼ごうと、コップに手を伸ばす。が中身がなかった。乾ききった唇を舐めて、指を机の上に向ける。 気障ったらしいのはやめよう、とやっと思えた。可能なだけ厳粛な顔をする。 「で、今やるべきなのはパスタを食べることだ……冷めたら不味い」 魔術師が俺の顔をちらりと見て、気が抜けたように失笑した。
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