一章 往往の界

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一章 往往の界

一 女が歩いている。 女の歩みに合わせて、金属が()れ合うような小気味の良い音がする。身に着けている衣服の環形(かんけい)の飾りが(こす)れる音だろう、僧が持つ錫杖(しゃくじょう)が奏でる音にもどことなく似ていた。 五月も終盤に差し掛かり、地に落ちる陽光は()(ごと)にその熱を上げている。にも(かかわ)らず女が(まと)う衣は、季節のうつろいを無視するかのように(いく)()にも重ねられていた。 しかしながら女とすれ違う人々は、その異質さを気に留めることなく進んでいく。登校を急ぐ学生も、出勤のために車を走らせるサラリーマンも、皆等しく瞳の中にその女を映していないようだった。 女もまた()に興味など無いように歩き続け、やがては陰の中へと足を踏み入れていった。そうしてそこからまたしばらく歩き、とある場所でその歩みを止めた。 女の目の前には荒れ果てた平屋の廃屋があった。 女は視界の中央に廃屋を捉えながら、値踏みするように周囲を見渡す。 「やはり開いておるな……。――ふむ、……(とお)と五日といったとこかのぉ……」 女は口の端を歪ませて、弾んだ吐息を漏らした。 「ちょうどよいではないか」 そう口にして身を(ひるがえ)すと、女はついさっき歩いてきた道へと戻っていく。 「さてさて、どうなることよのぉ……。せいぜい楽しませてもらおうぞ……」 女が放つ金属音とせせら笑いが、陰を落とした細い道の中を埋め尽くした。だがその音に気付くものは、誰一人としていなかった。
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