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第5話
朝露の残る繁華街は、夜の騒々しさが到底想像できないほど静かなものだ。
早朝のラッシュに巻き込まれないためには、少し早くアパートを出なければならない。
のそのそとトーストを食べながら支度をして、始発を数本過ぎた頃に部屋を出る。
そうして人通りがほとんどない通りを歩いていても、周りの風景を気にする余裕はほとんどなかった。
けれど今日に限って、いつもは気づきもしない店の前で足を止める。
そこにはしっかりと“猫カフェ”があった。
目立たない奥まった入り口は昨晩と同じで、少し急な階段が長く続いている。
階段脇には“猫カフェ”の案内看板が掲げてあり、キャッチフレーズは――――――
『かわいい猫とのふれあいは癒しの時間。お好きな猫と、素敵なひとときを過ごしてみませんか』
などと書かれていて、その本性をほのめかす言葉が続いていた。
オプションや追加メニューなんてものも存在し、昨日の俺はまだその一歩を踏みとどまれていたことに安心する。
もうこの店の客になることはなのだと、一人で軽く頷きながら出勤の足を早めた。
そしてそんな自分を揶揄するかのように、その日の帰り。
俺はまた猫耳コスプレのクロと、怪しい“猫カフェ”の前で鉢合わせることになるのだ。
「お兄さん、透さん!」
そう言って駆け寄るクロは昨日と同じで、全身を黒一色に染めている。
微かに光る耳のピアスは、彼の性格を表すアクセントになっている。
頭上の猫耳は短くぴんと立って、ふわふわの髪の中から生えているように見えた。
その黒耳を触ったら、猫のような反応をするのか気になりだした。
昔友人宅で撫でようとした茶トラの猫には、強く噛まれたことがある。
俺はクロを無視することができずに、また強引に腕を取られて身を寄せあった。
石鹸の香りが鼻をくすぐると、妙に落ち着かなくなった気持ちが鼓動となって胸を打ち付ける。
「今日もよっていく?また透さんの話をしようよ」
近すぎる相手に戸惑って、俺はわざと視線を外す。
するとクロの背後に、少々の違和感を感じて目を落とす。
その後ろを覗いてみると、腰の部分から紐のようなものが垂れ下がって揺れている。
それを見てはっとした俺に、クロは笑いながらこう言った。
「尻尾もつけたんだ。触ってみたい?」
なぜだか喉をならした俺は、危ない橋を渡るかのようにドキドキと疼きはじめる。
知らぬ間に頷いていたのか、クロは慣れたように店の中へと俺を引き連れていった。
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