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ひとまず棺を床に下ろし、四つ子はようやく一息つくことができた。
奥座敷は廊下とは比べ物にならないくらい大量の札で覆いつくされており、壁が見えないほどだった。おまけに座敷の中には一切松明が置かれておらず、御神体の周辺は互いの顔も見えないほど暗い。廊下から漏れる灯りが部屋の入り口をわずかに照らしつけるばかりだ。
あまりに暗いので棺だけ御神体の前に置いて、つぐみ達はできるだけ入口に近い場所で座り込む。座敷の中が濃密な闇で覆われているせいか、廊下の灯りは対照的に轟々と赤く色づいて見えた。だが闇と灯りの境目はぼんやりと滲んでいて、なんだか逆に不気味な光景のようにも見える。つぐみは肩を震わせ、気付かれないようそっと兄弟の体に身を寄せた。
「くいな、ずいぶんと顔色が悪いな。怖いのか?」
あとりが声をかければ、青ざめていた末弟がわかりやすくビクリとしてみせる。死体が傍にあるんだから当たり前だよとくいなが噛みつけば、あとりは乱暴に彼の頭を撫でた。
「大丈夫、僕達兄貴が傍についてるさ。それでも不安なら僕にしがみついていてもいいんだぜ」
「ちょっとあとり兄さん、僕もうそんな歳じゃないから!」
くいなの反論にあとりはからからと笑う。だが、おかげでくいなの緊張が少しほぐれたようだった。
本当にこの長男は弟の扱いがうまい。そんなだからくいなも彼を心から慕っているのだろう。くいなの表情が目に見えて和らいだのを見てつぐみが感心していると、あとりは思い出したように棺を見やる。
「そういえば、阿左美はひたきのクラスだったか」
棺を見詰めるその横顔は、灯りに照らされて血を浴びたように真っ赤に染まっていた。同じく赤くなったひたきの顔が動いて、かつてクラスメイトだったものが納められている棺を見やる。
「ああ、そうだよ」
「話したことはあるのかい」
「あまり。彼はとても大人しいやつだったから、話したことは少ないんだ。きっと、クラスメイトのほとんどがそうだったと思う」
「不運なやつだなぁ。よりによってコゴイ様に命を奪われるなんてさ。だが、なんだってコゴイ様の社に入っちまったんだか」
あそこがどれだけ危険なのかはよく知っているはずだろう、とあとりは呆れ顔で零す。兄の言う通り、子供がコゴイ様の社に足を踏み入れると死んでしまうということは、この町の人間なら誰もが知っていることだ。阿左美だってよくわかっていたことだろう。それなのに、何故。
あとりとつぐみの視線に気付いて、ひたきは困ったように眉根を下げる。
「そうだなぁ、僕も詳しくは知らないんだよ。さっきも言ったように、彼とはあまり話したことがなかったから。でも、噂は聞いたことがあったんだ」
「噂?」
「彼が両親から虐待を受けていたという噂さ」
ここには自分達兄弟しか居ないというのに、ひたきはわざわざ声をひそめて告げた。それは例えるなら、棺の中で眠る阿左美に聞こえてしまわないように。
「虐待って……だって、葬儀に泣き女まで呼んでたのに」
つぐみがつられて声をひそませれば、あとりが馬鹿だなぁと肩をすくめる。
「だからこそってやつなんじゃあないのか。『私達はこんなにも死んだ息子のことを想っているんですよ、だから虐待なんてしてるはずがないでしょう』。そういうパフォーマンスだったのかもしれないぜ」
「そんな……」
泣き女の存在はあまり好きではないが、それでも彼女達の役割は理解していた。泣き女は故人の死を悼んで求められるはずだ。それがただの見栄で呼ばれただなんて、とつぐみはやりきれない気持ちになる。
「ま、まあ、あくまで噂だからね。本当のことは誰も知らないよ」
つぐみの心情を慮ったのか、ひたきがあえて明るく言う。兄の優しさに心が和らいだつぐみだったが、そこでふと、あとりとのやりとりからくいなが一言も話していないことに気付いた。
くいなのクラスとひたきのクラスは隣同士だから、少しくらい噂のことを知っているかもしれない。だが、末弟は黙りこくったまま膝を抱えていた。
「……くいな?」
不審に思って名前を呼ぶと、伏せられていた顔がゆっくりと起き上がる。
その額には、絶えず脂汗が浮かんでいた。
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