ボコイ様

16/31
前へ
/143ページ
次へ
 つぐみ達弟はあとりに先導されて、奥座敷の傍にあった部屋に身を隠した。  そこはどうやら書庫だったようで、壁一面に並んだ巨大な棚には埃まみれの本がみっしりと詰まっていた。つぐみ達はひとまずくいなを床に寝かせてやり、それからあとりの指示で重たい扉を閉めて姿を隠す。  くいなのことはひたきに任せ、あとりが息を殺して扉の隙間から外の様子を窺う。  一体兄はなにを警戒しているのか、そして何故社を出るのではなく隠れることを提案したのか、それが知りたくてつぐみも彼のマネをして隙間を覗き込んだ。あとりはつぐみの行動に眉をひそめたが、特になにも言わず好きなようにさせてくれる。  ここからだと奥座敷の様子がよく見える。明るい廊下に面した書庫から見ると座敷はより一層暗く、御神体なんかは黒く塗り潰されて見えないほどだった。  距離をとったおかげか腐臭も和らぎ、余裕を取り戻したつぐみはぼんやりと赤い廊下を眺める。松明の火がパチパチと爆ぜる以外は、兄弟と自分の呼吸音だけが響いていた。  だがつかの間の安寧も、あとりの硬い声によって壊される。 「来た」  その合図とともに、ずるり、となにかが暗闇から這いずり出てきた。  つぐみは悲鳴すら出せずに、目の前に現れたそれを呆然と見詰める。  最初に視界に入ったのは、ぶよぶよの肉塊。  くすんだ肉色から飛び出たものが短い四肢であると気付いたときには、すでに頭が闇から浮かび上がっていた。  大人の体の倍ほどある肥大しきった胴体。それでも支えきれないほどの巨大な頭部。上からむりやり押し潰されたようにひしゃげた頭のせいで、歪みきった表情は笑顔のようにも見える。潰れた蛙を連想させる醜い顔には、開き切っていない目と歯がない引きつった唇が張り付いていた。  つぐみはあまりの恐怖と嫌悪感に、息すらできぬまま化け物を見詰める。思わず目をそむけたくなるような凄惨なその姿は、まるで。 「……奇形児?」  隣であとりが零した言葉が、すべてを物語っていた。  歪な頭を持つ巨大な赤ん坊は、不安定にゆらゆらと揺れながら廊下を歩く。かひゅかひゅと空気の漏れる音とともにその口からは絶えず不気味な声が零れていた。それは例えるなら赤ん坊がむずがるような、あるいは調子の外れた鼻歌のような長い長い旋律。  どうやら声は書庫の奥にいるひたきにも聞こえているようで、うろたえたのか背後で衣擦れの音が響く。そんな小さな音ですら今のつぐみには恐ろしくて仕方がなかった。あの化け物に聞こえてしまったら、どうすればいいのかと思ってしまって。 「……おい、見ろ」  だが憎たらしいことに兄は幾分か冷静だった。あとりに小声で促されて怯えながら視線を落とすと、化け物が引きずっているものに気付いてさらに肝が冷える。  そこには、棺から引っ張り出されたらしき阿左美の骸があったのだ。 「んーーーーーーーーーーーーーーーー」  一際長いうめきとともに、くすくすと笑い声が響き渡る。  化け物は濁ったよだれを口の端から垂らすと、阿左美の骸を玩具のように引きずって。  凍りつくつぐみとあとりの目の前を、ゆっくり、ゆっくりと通り過ぎていくのだった。
/143ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加