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背中に伝わるくいなの熱に怯えながら、つぐみはあとりの背中を追い続ける。
この異常事態に、しかし長男の足取りはしっかりとしていた。
いつまたあの化け物と遭遇するかわからないというのに、廊下を突き進むのに少しのためらいもない。普段は怠惰なくせに、こういうときは本当に頼りになる兄なのだ。
豪胆なのは後ろを歩くひたきも同じで、怖くてあとりの背中を見ることしかできないつぐみと違い注意深く辺りを警戒していた。実際にボコイ様の姿を見ていないから余裕があるだけかもしれないが。
そういえばこの次男は今でこそ穏やかな気質だが、昔はあとりと同じく怖いもの知らずであったことをつぐみは思い出していた。
先程あとりが言ったように、この兄二人はかつて悪童コンビとして大人達を翻弄し悩ませていたものだ。それがいつからかひたきがイタズラを止め、控えめに振る舞うようになったせいで、悪名も途絶えてしまったのだが。
今の優しいひたきも大好きだが、あとりと肩を並べて無邪気に悪事を考えていたあのころの兄も好きだったんだんだよなと、つぐみは感傷に浸った。
「なあつぐみ、さっきボコイ様の頭上を見たか」
つぐみが昔のひたきのことを懐かしんでいると、前を行くあとりが突然そんなことを訊いてくる。
「み、見てないけど……」
不審に思いながら答えれば、あとりはそうかと暗く呟く。何故そんなことを訊いてきたのかはわからないが、あとりはどうやら頭上を見てしまったようだった。
兄は一体なにを見たのだろう。それを尋ねる暇もなく、背後でひたきが立ち止まる気配が伝わってきた。
「風呂場だ」
ひたきの呆けた声が響く。
よくよく目を凝らしてみると、廊下に面して色のあせた暖簾がかかっているのが見えた。あとりが近寄って暖簾をめくりだしたので後ろから覗き込んでみれば、そこは脱衣所で、奥には浴室が見える。大勢で使用するような立派な大浴場のようだった。
やはりこの屋敷は人が住んでいた場所なのだ。それも大浴場を使うような大人数の者達が。ますます深まる疑問に言いようのない不安を感じていると、いきなりあとりの焦った声が響く。
「おい、なにしてるんだ!?」
カラカラ、と音を立てて脱衣所の扉が開かれる。つぐみが驚いて顔を上げたときにはもう遅く、すでにひたきが体を滑り込ませていた。
「なにやってるんだよ! 軽率に入るな!」
あとりが慌てて引き止めるが、ひたきの目は大浴場へ釘付けとなっているようだった。あれだけ周囲を警戒していた彼にしてはあまりに軽率すぎる行動に、つぐみだけでなくあとりまでもがうろたえる。
「おとが、」
と、ひたきは零した。
「音がするんだ。あの大浴場から」
「音?」
「こぽこぽ、こぽこぽって、水の音。ずっとしている」
抑揚のない声に、つぐみは背筋が寒くなる。
その口調は普段のひたきとは違い、まるで幼い子どものようだったのだ。
「いかなくちゃ」
一層つたなく呟いて、ひたきはあとりの手を振り払う。
「お、おい、待てひたき!」
あとりの制止も聞こえていないようで、ひたきは脱衣所を突き進むと一切迷わず引き戸を開けた。
やっとのことでひたきに追いついたあとりとつぐみは、しかし目の前に広がっていた光景に絶句する。
大浴場に備え付けられた巨大な浴槽の中には、みっしりと子供の死体が詰まっていたのだ。
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