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「うっ……」
強烈な死臭にえずきかけるのを、つぐみはすんでのところでこらえる。背中にくいなをおぶっていなければ、床に崩れ落ちて胃の中のものをぶちまけてしまっていたことだろう。それほどまでに浴槽に詰まったものは惨たらしいものだった。これにはさすがのあとりもこたえたようで、顔を青白くさせている。
「……おい、見てみろ。この死体、どれも手足がない」
あとりに促され、つぐみは嫌々死体へと視線を戻す。正視したくなくて目を細めて肉塊を観察すれば、あとりの言う通りどの死体も手足を失っているようだった。それも、まるで強引にもぎとったような荒々しい傷口が覗いている。べったりと血で汚れた断面からは千切れた筋肉が飛び出ていて、それを見たつぐみは今度こそ限界を迎えた。
しゃがみこんで嘔吐を繰り返すつぐみの背中から、くいなの体が滑り落ちる。だが弟がそんな状態になってもなお、ひたきの意識は浴槽に向けられたままだった。
「あかちゃん」
そう呟いてひたきは浴槽に近寄る。そしてなんのためらいもなく肉塊へと両手を沈めたのを見て、あとりもつぐみも心臓が凍り付いた。
「なにやってるんだお前!」
血相を変えたあとりがとっさに羽交い絞めにしても、ひたきの奇行は収まらなかった。それどころか自身を押さえつけるあとりの腕を、血まみれの両手で掴んでギリギリと締め付ける。骨が折れそうになるほどの怪力にあとりがうろたえれば、大きな目がぎょろりとこちらを向いた。
「ぼくらもこうなるんだよ、にいさん」
「ひたき……?」
「みんなみんなこうなるんだ。あかちゃんになるんだ。そのためにはてあしがじゃまだよね。ながいてあしはいらないからないないしなくちゃね。そうすれば、きっとあかちゃんになれるよ」
さらに強く締め付けられる腕に、あとりはようやく理解する。
ひたきは、自分の腕をもごうとしているのだと。
「ひたき、兄さん……」
ひたきの意図に気付いたのはつぐみも同じだった。嘔吐で体力が削れた体で必死に這いずり、なんとか次男を止めようとする。
だが、それが間違いだった。
べしょり、と背後で響いた湿った音につぐみは硬直する。
振り返ったあとりの顔が絶望で歪むのを見て、つぐみもまた悟ってしまった。今、自分の背後になにが居るのかを。
くぐもった音がする。脳内に直接響くような不協和音だ。ぎこちなく振り返れば、それとともに濁音がわんわんと反響して。
「んーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
ボコイ様が、斜視の目でつぐみを見下ろしていた。
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