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「ああ、」
つぐみは悲鳴をあげることもできずに、恐怖の息を漏らす。
ぼとぼとと音をたてて、つぐみの頭上になにかが降り注ぐ。それが引きちぎられた阿左美の手足だと気付いて意識が遠のきそうだった。ボコイ様の足元には頭と胴体だけとなった阿左美の遺体が転がっていて、ああ、こうしてあの浴槽の死体も生まれたのだとまた吐き気がこみあげてくる。
だが、恐怖はそれだけではなかった。ボコイ様が新たに引きずっているものを見て、つぐみはより深い絶望を味わうこととなった。
ぐったりと四肢を投げ出し、大切な弟がボコイ様に囚われてしまっていたのだ。
「くいな……!」
つぐみとあとりの絶叫が重なり合う。弟を救おうと反射的に駆けだそうとしたあとりは、しかし浮遊感に襲われ床に倒れこんだ。
打ち付けた体の痛みに顔をしかめれば、目に飛び込んでくるのは瞳孔の開き切ったひたきの姿。床に縫い付けられた体は少しも動かせず、あとりは焦燥感に舌打ちを響かせる。
「くいな……つぐみ……!」
せめてもの思いで首を捻れば、ボコイ様に囚われたままの四男と、その眼前で固まる三男の姿が目に映る。
つぐみはくいなを助け出すこともできず、ただ絶望を味わうことしかできなかった。くいなを背中から下ろさなければ。自分がくいなから離れなければ。後悔は重たい足かせとなって、つぐみの思考を奪っていく。今のつぐみには、弟を取り戻すという選択肢も、ボコイ様から逃げ出すという選択肢も奪われてしまっていた。
そんな木偶人形と化したつぐみの耳に、ねっとりと甘ったるい声が届く。
”きょうはおともだちがたくさんでうれしいね~え”
最初、それはボコイ様の声だとつぐみは思った。だが違うと気付いたのは、赤ん坊の姿をしたボコイ様の声にしてはあまりに成熟していたからだ。
そう、例えるなら妙齢の女性のような。
”どれがそうなのかな~? ぐちゃぐちゃまざっちゃってよくわかんないねぇ。あれかなぁ? それとも、これかな~あ?”
声は含み笑いを漏らしながら、つぐみ達を選別しているようだった。それは怯えるつぐみ達を嬲るような嗜虐的なものだったが、やがて残酷な決断を下す。
”そうだよねぇ。わかんないよねぇ。なら、ぜんぶちぎっちゃおうかぁ”
ひ、とつぐみの口から悲鳴が漏れる。
”ちぎっちゃえばわかるよぉ。どれがあかちゃんになってくれるのか。そしたらまたおともだちがふえるよぉ。うれしいねぇ。
だから、ふ、ふ、ふ。
はやくないないしようねぇ。おててもあんよもぶちぶちちぎっちゃおうねぇ”
恐ろしい囁きに体を震わせながら、つぐみはゆっくりと顔を上げる。甘く残虐な声は、ボコイ様の頭上から降り注いでいたのだ。
灯りの届かない天井に、巨大なシルエットが浮かび上がる。やがて目が慣れてくると、いやらしい女の笑みが浮き彫りになった。
蜘蛛だ。
女の顔をした蜘蛛が、ボコイ様の頭上に垂れ下がっていた。
恐怖に喉が引きつる。あとりはこれを見たのだとようやく悟った瞬間、女はますます悪意に満ちた笑みを深めた。
”ね~え、はやくおにいちゃんたちとあそびたいよねぇ?”
女がくすくすと笑いながら、ボコイ様に囁きかける。女の問いかけに応えるようにうめき声が大きくなって、つぐみの鼓膜を揺らした。
そして、指が欠落したぶよぶよの手がくいなの腕を掴んだのを見て、つぐみは息が止まる。
「やめて、」
つぐみが必死にすがりつこうとするのを、女はおかしそうに見下ろしている。やめて、嫌だ、とつぐみが叫ぶたびに、これから行われる残虐な行為を見せつけるようにゆっくりと腕に力がこめられた。
「やめろ!」
その絶叫を皮切りに、くいなの腕が乱暴に引っ張られる。
苦痛に歪む弟の顔に、つぐみは声にならぬ悲鳴をあげて。
つぐみの体は、降り注ぐ鮮血で汚された。
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