クリークヴァルトの秘密

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 そんな3人のところに今回フランスから届いた問い合わせの手紙は、今までとはちょっと、いや、かなり違っていた。だからムオ大佐は苦り切った表情をしている。  お父さんとお母さんはニヤニヤ笑っている。 「クリークヴァルト公国陸軍のムオ大佐に恋人はいるのか」 これが今回の問い合わせだ。 「これは答える必要は無いだろう。無視しよう」 ムオ大佐は平静を装いつつ、そう宣言した。 「いや、これはカネになりますよ」と父。 「最近、ドイツ人は金払いが悪くって。もうすぐ建国祭なんですよねえ」と母。  二人の視線がムオ大佐に集まる。  それ以外の人々の視線もムオ大佐に集まる。  私の視線も入っている。  クリークヴァルト公国政府に秘密は存在しない。最近では、フランスとドイツから手紙が届いたという知らせがあると、国中の暇人が中央郵便局に集まって来る。もはやスピオンとスピオニンは国民的な娯楽と化しているのだ。 「こればかりは秘密なのだよ」とムオ大佐。  みんなの視線が、今度は公太子妃殿下に集まる。  公太子妃殿下は次女のアンゼルマ様のお散歩中に、郵便局に立ち寄られたのだ。今年で37歳になられるが、どう見ても20代である。お子様も4人もおられるが、嫁いでいらした時から美しさは増すばかりだと、これはおじさんたちが酒を飲むと3回に1回は出る話題だ。  嫁いで来られる前、ヴェネチアで反対派の暗殺者に襲われたというのは有名な話だが、今やクリークヴァルト国民で公太子妃殿下のお写真を家に飾っていない者はいないと言われる。それくらい愛されている。 「ふふふ」  公太子妃殿下が笑う。  みんなの視線がムオ大佐に再び。  ムオ大佐の表情が忙しく変化する。 「教えてあげたら?」  ムオ大佐は、公太子妃殿下には絶対に逆らえないという。5歳の頃から殿下のお側に仕えていたらしい。みんなの期待が高まるのがわかる。建国祭で大通りで振る舞われる豚の丸焼きが3頭分くらい増えるかもしれないのだ。 「いや、姫様、そんなこと知っても全然、全然面白くない話ですから!」 「……大佐、話題を反らしてませんか?」  お母さんの厳しい一言が大佐の退路に立ちふさがった。 「これは建国祭の費用の問題なんですよ?」 「そうだそうだ」 「大佐は優しい人だからな」 「あ、それ有名だよね」 「こないだイギリスのジョージ5世が、クリークヴァルトのムオ大佐ほど心の広い男はいないって議会で演説したって話を新聞で読んだ」 「こないだリンツで昼飯食ってたら、となりの席に座ってた女学生たちが、ムオ大佐みたいな優しい人と結婚したいって話してた」 「俺はウィーンのカフェでザッハトルテ食ってた時にそれ聞いた」 「私はザルツブルクで」  みんなでムオ大佐を囃し立てる。  ムオ大佐の目が泳ぐ。適当な嘘を書いて送れば良いのに、大佐は変なところで真面目だ。でも、こんな美男子が困っているところを見るのはゾクゾクする。だから、もうしばらく助け舟は出さないでおこう。  と、その時だった。ムオ大佐は懐中時計を取り出すと、 「あ、姫様の猫に餌をやる時間だった! すいませんが後は任せました!!」と叫んで、郵便局から飛び出していった。 「逃げたぞ!」 「ずるい」 「猫の餌より建国祭のごちそうのことが大事だろ」 「でも姫様の猫ならしょうがないか?」  みんなが公太子妃殿下を見た。殿下は「ふふふ」と笑った。  かくして、クリークヴァルト国民対ムオ大佐の間に、諜報戦が勃発したのだった。
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