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机の上に置かれた小さなテレビ画面が消される。いつもの備え付けのヘッドフォンを外すと、店内に流れるクラシック音楽が聞こえてきた。
すっかり伸びてしまった安い醤油ラーメンを泡の抜けたビールで流しながら、有門はこんな場所でなければ盛大な拍手を送ったのにと心の中で舌打ちした。
帰ってくる度に不思議な気分に晒される。向こうではお金を払わなければ会うことすらできないようなアイドル、それも3人と一緒にパーティを組んでダンジョンに潜っては命懸けの戦いに挑んでいるというのに、戻ってくるのはいつもこの狭いネットカフェの一室なのだ。
美歌がどんな理由で会見を開いてまで訴えたのか、その真実を知っているというのに一人なにもできない遠くで見守ることしかできない。瑠那やすずはおそらく近くにいるというのに。現実の壁は恐ろしく高い。
ただ酔えるだけのビールを一気に飲み干すと、すっかり慣れてしまったマットの上へと体を預けた。いろんなコードが剥き出しの天井をぼんやりと眺めているといろんな思いがぐるぐると頭の中を巡る。
今頃、美歌は何をしているのだろう。マスコミの質問攻めにあっているのか。控室に戻って瑠那に抱き締めてもらっているのか。すずは一緒か? 山本渚とは結局どうなったんだ? あいつは、直人も会見を見ていたのだろうか。
横になったばかりの体を起こす。いても立ってもいられなかった。充電していたスマホを開いたところで、ここではダメだと外へ向かう。
「ーーはいはい」
2コールですぐに瑠那の面倒くさそうな声が出る。
「悪いな、今、美歌は?」
「今戻ってきて号泣してる。すずちゃんがね、来てくれたんだよ」
「そっか。それはよかった……」
おかしなことに続く言葉が出てこなかった。瑠那に伝言でも伝えて切れば済むと頭ではわかっているのに、それができない。
「なに? まだ何かあるの? わかってると思うけど、これからまた忙しいことになるのよ。スケジュール発表されたでしょ? 休んでた分以上働かないとね!」
「ああーーいや、美歌に伝えておいてくれないか。会見、感動したって。きっとまたネットが騒ぐだろうけど、なんだその、美歌の真っ直ぐな声はファンに届いてるはずだって」
言っていることがどこか他人行儀に聞こえる。誰にでも言えそうなありきたりな。
(オレは、なんで電話で伝えてんだ? なんで直接伝えられねぇんだよ)
「なんで私が伝言係みたいなことしなきゃいけないのよ」
瑠那から返ってきた言葉は意外なものだった。
「それになにそんな畏まっちゃって。美歌ちゃんに直接会って伝えればいいじゃない。あんたの言葉でさ。もう、葵さんは通してあるんだから、時間さえ合わせれば会って話すことくらいできるでしょ?」
「そうかーーそうだよな。時間が合えばーー」
急な提案に声が上擦る。口が知らぬ間にニヤけているのがわかった。
「それにもう、来てるわよ」
「あん? 誰がだよ」
「そりゃあ、もちろん。山本渚」
それから一言二言言葉を交わして通話は終了した。スマホを片手に持ったまま通行人の邪魔をしないように軽く伸びをすると、有門はまた店内へと戻っていった。
ビルの間に落ちゆく夕陽が、珍しくキレイに輝いていた。
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